四次元の二次元への投影法について
すーっと息を、苦しくなるまで吐き出す。いざ息を吸い込もうとするときに、それを口の中に放り込む。陰圧によって、それは一気に喉にまで到達して、喉をふさぐ。息苦しい。空気が足りない。藻掻くようにしながら、それは、少しずつ小さな喉の中にぬるぬると入り込んでいく。喉はぴったりと隙間なく閉じられる。喉は張りつめて痛く、感情的にではなく肉体的に涙がこぼれる。脳は遠のいていく。酸素が足りない。苦しい。空気を両手で握りしめる。しかし、これを肺の中にたたき込まなくては何も意味がない。もだえる、そのもだえと少しずれたリズムでそれは喉の中で踊る。少しは、それが中に入る手助けになるのではないかと、跳びはねる。陰圧に引きずられて、少しずつ奥へ奥へとそれは入り込んでいく。
風船の中で踊る。この程度なら、まだ空気は十分に足りるのだろう。はしゃいで、飛び跳ねて。しかし、風船は一つだけではない。この向こうにもうっすらと見えているし、しっかりと観察して考察すればわかることだが、他の風船がこの風船自体を取り囲んでもいるし、この風船の中にもいくつも飛び跳ねている。そして、風船のいくつかはその表面が接触することによりお互いが反発しあうのではなく、そのままその中の空気を漏らすこともないままにすれ違い、重なり合いもするということ。その瞬間が、風船から風船へとを移動することが可能なタイミングの一つかもしれない。風船は時々、その中の空気の流出を防ぎ表面の張りを保たせる働きをする栓を失って、急速にその空気をそこから噴出し、表面の張りを失うときがある。それと同時にその空気の流れに引きずられて、それまで踊っていた風船の中から外に飛び出させられることがある。かといって、外に出ても風船の中であることには変わりがない。そこもまた、風船で取り囲まれている。風船は時に、張りが弾力を失って硬直し、一瞬のうちに何かの刺激に促されて破裂するときがある。それによって追い出されるときもあるが、やはり、未だ風船の中にいる。そして十分に空気もある。
突然のように空気が肺の中に吹き込んでくる。漸くに通り過ぎた。リズムを失っていた肺は、すぐにはうまく呼吸できず、咳き込みながら、再び涙ぐみながら、落ち着きを取り戻そうとする。そのころになると、今度は胃が大騒ぎしている。それと胃酸が格闘する。その余波が体中に走り、吐き気を催す。
その風船を選択したのだろうか。他の風船はどのような物なのだろうか。風船の内側。その外表面のぴんと張った肌触りはどのような物なのだろうか。風船は、永遠に風船に取り囲まれた逃げ出しようのない無限の繰り返しの構造になっているのだろうか。
強くはじかれる。どうしようもなくなると、鏡を見るしかない。そこには、自分が全く想像もしていない様子が映っている。そこには、自分が想像していた以上に現実的な様子が映っている。そうであるなら受け入れるしかない。その行為が、新たな次元への一歩となることもある。

