夜明け前の
暗がりを起き抜ける。さほど寝付けなかった夜であれば、起きることはさほどつらくもなく。静まりかえった空間、消毒のにおいが軽く漂う。窓の外には、暗がりに浮かび上がる桜が満開で。
違和感に包まれる。本来なら名前を知っているだろうが、しかし、実際には知らない人たちに囲まれて。何故、このようになったのだろうかと、そして、何故今ここにこうしてたどり着いたのだろうかと。
固まりの中にいながらにして感じる浮遊感は、これで何度目だろうか。ただ、この感覚こそが実は、もっとも居心地のいい感覚になっているのかもしれない、今では。驚くほど落ち着いている自分を感じる、かつてあれほど拒否しようとした、薄膜が間に挟まれているという感覚が、むしろありがたいほどで。だから、遠くにいるのかもしれない。私自身は、もはや遠くにいるのかもしれない。ここにこうしている私自身とは全く異なるそれとして。
線香の煙が上がり、そして、空間を包み込んでいる。こうして、曲がりながらも一対一で居るのかと思うと、やはり、不思議。いくつかの過去がそっと、回り込んでくる。数え切れてしまう程度の過去。そして、感情が全く搭載されていない過去の映像。
しっとりと冷え込んでいる、まだ、日が昇る前。何故これほどに、平然としていられるのだろうか。自分でも不思議なほどに、恐れが消えていっている。何かが終わると、何かが始まる。多くの物事は、激しい火花とともに、終わりを告げる。そして、それは自身を補強し、そして、次へのすばらしいスタートの原動力となる。まるで今のこの暗がりのように、そして、今のこの終わりのように。
一人だけでいるにしては広すぎる部屋。暖房の音が静かに空間を埋め尽くす。そして、新たな線香を継ぎ足して、とりあえずの役目を果たす。大角膜が下に落ちきったような落ち着きは、とても力強く、もはや何があろうとも受け止めて、そして、不要なものは、ただ我関せずと、突き進むことができる。かつては、大いにおびえていたがらんどうの空間でさえも、今は。
まるで同じように、同じような場所をうろうろしているだけのような気がするときがある。逃げることのできない性のような何かに支配されてしまっているようで。それは、おそらく自身が自然にとってしまう行動パターンに起因するのだろう。人は、自身を変えることがなかなかできない。人は、他人を変えることは全くできない。しかし、一方で大角膜を下げきってしまった今のような状態になれば、そして、薄膜越しに、もしくは、遠くから眺めてしまえば、途端に自分を裏切ることができるようになる。当事者である感情から離れてしまうこと、一時的にでも。すると、例えば、今のこのような空間でさえ、どうというものではない。時々響く小さな物音ですら、怯える対象ではなくなる。
水に潜る。息を止めている。いつもと違う。息が苦しくなる。顔を上げる。また水に潜る。息を止めている。苦しくなるけれども、もう少し耐えてみる。そして、顔を上げる。いずれにせよ、顔を上げることができると思えば、少々の息苦しさなど、ちょっとした我慢でいなせてしまうだけのもの。
睡眠の不足のためだろうか、ほのかに頭痛が取り巻いている。呼吸も、若干速度をゆるめる。少しばかり、眠りに落ちようか。まだ、夜明けまではまだ少しばかりある。

