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2008/03/09

AとBの概念 合成1

第1章 3っつの平面

・情景1

二人の人間がいる時、それらは二本の棒として表現出来るのだろうか。そして、その背景から、例えば夕陽が鋭角で差し込んでいるとすれば、こちらに向かって、二本の長い影が迫ってくるのだろうか。いずれかが何かのために、身振りすれば、それは、ひらひらとたなびくものとして表現されるのだろうか。その動きは、そこに吹き抜けた風の影響とどのようにして分離されるのだろうか。
ここで、二人の人間がいると表現したが、ということは、その画面の中には二人しかいないとうことも同時に指し示していることになってしまうのだろうか。夕陽が差し込んでいると表現しているのだから、当然夕方であろう。では、帰り道なのか行き道なのか。身振りをすればと表現したが、それは、二人の間に何らかの対話の可能性があることを指し示すのだろうか。いや、そもそも二人の人間がいると表現した時点で、この二人はあかの他人ではないということになってしまったのだろうか。いずれにせよ、この時点では、まだ二人の人間と、夕陽と、そして身振りしか表現されていないのだから、それ以上のことは、はっきりしない。しかも、それぞれが仮定的な表現に留まっている。
仮にこの二人の人間をAとBとしてみよう。そうすると、まず、このようここに描写している表現者は、別のCであるとしていいのだろうか。その検証のためにとりあえず、仮にそれをCとしてみよう。するとそのCは、夕陽がこちらに向かってくるという表現によって、この二人からは幾分か離れている位置にいる観察者ということになる。しかし、ここで気づくのは、観察者だからといって、別のCとしたものが完全に独立したCであるとは断言出来ないということである。AもしくはBのどちらかの意識の中に幾分かある客観者であるとも捉えることが出来よう。視点が必ずしも本人の実際の位置を示すわけではない。つまり、C=Aかもしれないし、C=Bであるかもしれない。では、もう少し眺めてみよう。何故、そのCは、その二人の人間を二本の棒としての表現の可能性を探っているのであろうか。Cを独立のそれと考えた時の意図は何になるのだろうか。AもしくはBかもしれないCであると考えた時の意図は何になるのだろうか。身振りすればとある、それは仮定にすぎない。何故断定ではないのか。しかも、それはあたかも吹き抜けた風の影響とそれほど変わりがないかのように、それと分離することに対して疑問を持っているのは何故なのだろうか。きっと、ここまでくると、随分と物事が明らかになってきているに違いない。そして、それは結局こういうことになるのではないか。
夕陽に照らされるAとB。二本の棒は、風のためなのかわずかに揺れている。
球をある断面で切断する。そこに円が出来上がる。しかし、その一つの円からだけで、元の球を探し当てようとしても、それはその円が球を等分する断面である球よりも大きな球であるということ以上のことは分からない。それに、元が球であることさえも知らず、三次元の物体が元の姿であるとしてしまったら、それこそ、可能性ばかりが残されることになる。

AとBはしばしば共にいた、この情景に至る前から。その間には常に若干の不安はあったようだ。本当に他の棒と見間違えていることはないのだろうか。しかし、信じるより他ない時もまたしばしばある。全てを疑い始めれば、全てを照査しなければならない。とはいえ、棒にすぎないのだから、やがて全ては頓挫する。どの程度の頓挫まで耐えることが出来るのか。それは、それぞれの棒によって異なる特徴であるのかもしれない。それとも、頓挫と言うよりは信頼と言うべきなのだろうか。いずれ、棒にだっていろいろとあるのだ。そして、今は夕陽に照らされている。しばしば共にいたにもかかわらず、何故今になって、このように描写されるのか。この時点で、独立したCには退場してもらおう。Cはつまり、CaかもしくはCbなのだ。Ca=Cbである時もあれば、そうでない時もある。それは混ざり合っている。この二つが、どのような割合で混ざり合っている時が、もっとも均衡しているのだろうか。
・情景2

「私の周りには、AとBが在る。」彼は、何気ない会話をしているような時に、何かのきっかけがあると、そのように話し始めた。「一度そのことに遭遇してしまうと、最早そこからは逃れることは出来なくなってしまう。全てがどんどんと細胞分裂し始めて、無限の海の底に巻き込まれていってしまう。」そう言い終えると、彼はいつも決まって、二つに分裂した。そして、その分希薄になり、向こうが透けて見えそうにさえなった。さっきまで私と、紅茶が二つそれぞれのために置かれた机を挟んで向かいに座っていた彼が、今は立ち上がって、一人は時計回りに三人になった我々のいる部屋の中を歩き始めていて、もう一人はその逆向きに歩き始めているのであった。何故かその度に私は、その二人が衝突した時に惨劇が起こるような気がして、気が気でなく、すれ違う瞬間の度に、つい紅茶に手を伸ばしてしまうのが常であった。早く減りすぎる紅茶を気にして、いつもそのいずれかの彼が、私に紅茶を入れてくれた。ただ、これもいつもそうなのだが、その段階になると、彼は二人だけであるどころか、何人にもなり、そして、その姿はさらに希薄になった。そして、いつしか私は彼たちの霧の中に包まれているのであった。確かに、これほどの思想家はいない。絶対を自ら踏み越えていく人。「では、私の周りにもAとBが在るのでしょうか。」そう私が発言すると、彼は一人になり分裂する前と何ら変わらぬかのように、目の前で紅茶を飲んでいる。これもまたいつもどおりのことではあった。
今になってしまえば、もう慣れてしまった日常の光景の一つではあるのだが、その光景に初めて出会った時は、今まで感じたことのないほどに当惑し、紅茶を飲み、霧の中に私が口にする紅茶の量が増え、私は混乱した。部屋から出るに出られないどころか、席を立つことすら出来ず、ついには床に突っ伏してしまった(ところで、後になって気づいたのだが、その霧になった時点で、彼の方こそはこの部屋から何とはなしに出ていってしまう可能性があったのだ。私はその事実にたどり着いた時には戦慄が背筋を何度も往復するのを感じた。勿論、そのことを認識してしまった現在では、そして、その理由をうっすらとながら論理的につかみつつある現時点では、一つの現実にすぎないと捉えることが出来る。)。床に突っ伏したまま、最早正常には認識しきれなくなった時間感覚で、しばらくという時間が過ぎた頃に、「どうしたのだね、何も心配することはない。確かに、物事の本質を見てしまうことは、それほど恐怖であることはない。だが、物事は、常に我々が思う以上にグロテスクな代物でもある。いや、むしろ我々の認識の方が楽観的すぎるのだ。まあ、大体においてはその楽観で十分であるのだから、止むなしではあるのだがな。」と一人の姿に戻った彼が声を掛けてきた。私は、わなわなと震えながら椅子に縋り付くように立ち上がり、そしてなだれ込むように再び椅子に座った。動揺したまま、声も震えがちのままではあったが、しばらく何かの会話を交わしながら落ち着きを取り戻し、何とか家に帰りつける程度までには恢復した。
彼の所を訪れ話をする度に常にそのような状況に遭遇したわけではない。何かの弾みで、あの言葉にたどり着いた時にだけそのようなことが起きただけではある。ただ、初めてその状況に遭遇してしばらくの間は、彼と会話する度に、何時あの情景が現れるのかと思い、気が気でなかった。彼のあの変化が、あの言葉によって誘発されるということも、最初の頃は気づいてなかったし、最初の頃は怯え混乱している間にいつしか彼がまた元に戻っていたというだけで、彼がどのようにして元に戻るのかということ、つまり、こちらが、あの言葉を返しさえすればいいということも分かってはいなかった。ただ、何度か遭遇するうちに、その共通項から、彼の変化を誘発する言葉を発見した。一方で、元に戻すための言葉は、しかし、なかなか見つけ出せないでいた。その言葉に出会ったのは正に突然であった。ある日、慣れのためか、それとも私の中に芽生えた新たな神経回路に対する刺激の誘導によるのか、とっさにその言葉が私の口をついて出たのだ。途端、彼は元に戻った。彼の変化の時に感じたあの興奮とはまた別種の興奮が、その時、私を襲った。
「しかし、これだけは言っておく、これは奇跡でも何でもない。事実だ。私の周りにはAとBがいつも在った。それこそが本質である。だから、私のことについて、もし何かを口にするならば、むしろ、その言葉だけを伝えるべきだ。そして、その分裂については、あなたの言葉を使えばいい。背景を見失ってはいけない。」それは、何故の苦悩なのだろうか。街路樹を眺めると、今自分が歩いている舗装の下に在るであろう根っこについて気にするようになり始めた。勿論そんなことには意味はない。成長した木に破壊された塀がふと覗き込んだ路地の向こう端に見えた。霧になった彼が積分の結果であるならば、ここに私が見つけたものは微分の結果だろうか。確かに、AとBに包まれた場合には、それは、有限要素法でもある。
・情景3

雨降る。傾いた地面。歩む。何故風が吹いているのだろうか。雨滴はあおられて、そして飛沫となってAの顔に降りかかる。Aは、疲れ果てていた。一体何だったのだろうかと、ただ止めどなくこぼれる独り言を、自分で拾い上げることすら出来ない。構成の崩れた建築。少なくともAには、そしてその仲間にはそう捉えられていた。そして、労働者とは常に、その本当の目的などとは全く関係ない所にいるだけなのかもしれないと、そんなことを愚痴ていた。背景を知っていた方がいいという一方で、背景のほとんどは漏れ聞こえてはこない。それでもなおと踏み出してみれば、いつしか、AはAでもなければ、かといってBでもないという状況に押し出されてしまうという危険性を感じ、一歩また元に戻した。境界線とは、壁面とは、通り過ぎようとするものを物理的に拒むものではなく、心理的に拒むものである。よじ登ろうとするものを吸収する壁。AでもBでもないままに壁の中をさまようなんて、そんな状況に耐えることは出来ない。三次元の世界から一次元もしくは二次元の世界へなんて。だから、AはずっとAであることを選択した、それなりの自負もあるということもあって。しかし、そのようなそのころのその状況であっても、とても良かったと思いながら振り返っている今のこの現実は、あまりにも良くない。わざわざ雨の中を歩いているというのに、どこに向かっているのかも分からない。いずれにしろ結末は同じだということなのだろうか。AはAでしかないと思いながら、しかし、まだAであれているのかと不安にもなる。さっきの角でこちらに折れた理由も、下り坂であれば、ちょっとは楽に歩けるかもしれないと、ただそう思っただけのことだ。しかし、下り坂も結構疲れる。それに本当に歩いているのだろうかと、ただ重力に引きずられて、弱々しく落下しているだけなのかもしれない。あれで本当に完成だったのだろうかと、その納得しきれない思いのせいだろうか、下り坂にある重力に促されないと進むことすら出来ないのは。それとも、その思いこそが逃避とでもいうのだろうか。だからやはりAはAのままなのか。終わったのだから。壁がまだ入っていない所もあったし、あの張り出しの片持ち構造は、あまりにもモーメントがかかりすぎると思うのだが。皆口々に言っていた、このままじゃすぐに壊れちまうさ。ちょっと風が吹いただけでだめだよ。雨が降ったらどうなるんだろうな。建築物が風雨に晒されて朽ち果てるなんて、新築がだぜ、笑うことも出来やしない。立ち去る時に振り返ってみた。やはり不安定な気がしたが、それでもなお建っているようにも見える。Bはしかしいつも言っていた、これが新しいデザインなんだと。いや、Aに対してわざわざ言うわけもない。ただ、いくら壁を高くしてみたところで、音はどこからか漏れてくるものだ。そう言われてみると、そう取れなくもない。いや、結局そんなこと我々には判断出来やしないんだ。むしろ、見込みが甘かったんだなと、もうしばらくはそこにいることが出来るという見込みが。しかし、いずれどうでもいいんだ。そうならそうと受け入れてしまうさ。時々スーツに身を包んで、コンピュータ片手になんや、言っているやつがいたからな。Bにはきっと何か目的があるのだろう。AはAにすぎない。しかし、あの一緒にいた連中は今頃どこに行ったろうか。交差点にくる度に、誰もがまるで次の予定があるかのように、それぞれに道を選択していった。勿論Aだって、そう振る舞った。勿論そうだ、全てがAなのだから。疲れた。せめてどこかに、せめて座る所がないだろうか。こんな雨も風も気にしなくてもいい所。この雨と風で、あの建物はどうなっているのだろう。行ってみるべきだろうか。今頃つぶれて、それで、再建だということで、求人でもやってるかもしれない。いや、愚かしいな、きっと。いずれにしろ、AにはAなりの結論以外には選択肢にはなさそうだ。それならこのまま歩くしかないのか。
第2章 海岸沿いの崖の上の家

第一節 海辺で寝そべる

弧を描く海岸線。画面下部中央から伸び始めた線は、柔らかに下に凸の弧を描きながら少しずつ左辺へすり寄っていく。しかし、やがてその忍びよりの足並みは、その下に凸の性質上少しずつ鈍り始める。そして、あと左辺まで画面全体幅の五分の一という所で、一瞬垂直に立ち上がると、そのままお辞儀する格好で逆の辺へと向かおうとし、その加速がやっと始まった所で、結局上辺に捕まってしまう。弧の左はぶつぶつとした表面素材を持つ肌色で、弧の右側は透明感と反射を持つ柔らかな凹凸に覆われた青色である。たとえ聞こえてはいないにしても、その波の音が聞こえてくるかのような感触が視覚からも伝わってくる。少し眺めおろした風景。Aは窓際の椅子に腰掛けて、そういえば、風が吹き込んでこないのは、その窓が閉じられているからであり、だから、本当は波の音など聞こえていない、ということをやんわりと認識する。
その窓のある部屋の窓際に座るAを取り囲む物、机、本、ベッド、テレビ、電気、その他いろいろ、それらは当然のことながらAの指紋にまみれている。例えば、Aが何かを否定しようとすれば、それらの内のどれかが、もしくは全てがAの後ろ盾になろうとするだろうし、Aが何かを肯定しようとした時だってそうだろう。
海岸線を歩いているA。少し潮っぽい風に髪をかき上げられながら、そんなことは気にもとめず、右手を小刻みに震わしながら進む。先ほどの弧は今は、Aの右側に伸びている。その弧の近辺に、人がまばらにいる。どうでもいいことだ。右斜め後ろを見上げる。以外に険しく、そして、海へとせり出している崖の上で何かが光を反射している。あれがそうなのか。
Aは何気なしに、本屋によった。特に目的があって出てきたわけでもないが、かといって、いつもの習慣であるわけでもない。そういえば休日の朝だったという事実を、疲れの末端に感じて、起きなければならないという圧力をはね除ける必要のないことに気づき目覚ましから解放された朝。その解放を少しの間だけじっくり味わい、それでも何かに追われるように、もしくは、何かを求めるかのように目覚めた朝。自分の部屋を出て、ちょっとした会話を家族と交わしながら、しかし、何故かすぐに自分の部屋に戻ってしまった自分を窓辺に感じた瞬間に、何か今ある感情の地平に誤りがあるのではないかという、しかし、それは不安として表現するほどにはせっぱ詰まった焦りではなく、なんというのか、ちょっとした違和感とでもいえばいいのだろうか、そんな感情をどうにも振り払うことが出来なくなって、そして、玄関から外に出てきてしまった。そもそも、この散歩そのものが何気なしにすぎなかったのだから、その散歩に連動して起こることは、全て何気なしの行動にすぎない。依然としてやはり所在ない不安のような感情はそこにあった。真綿で首を絞めるという言葉もあるが、まるで、真綿に完全にくるまれたような、決して拘束されているわけではないのに、逃れられそうにないこの感情とは一体何なんだ。実感が乏しく、全てが間接照明のようだ。何故このように感情が第二層目で活動しているのかがAには分からない。第一層目は、摩耗してしまったとでも言うのだろうか。どうせだから、何か軽い雑誌でも買おうと思ったのだが、気づけば、哲学めいた文字だらけの本を買ってしまっていた。
風に流される砂。地面の表層をさわさわと流れすぎていく。寝ころんで、その地表を流れる風とそして砂とにまみれてしまおうか。むき出しになった第二層目はいつもひりひりと痛むから、そうやって、砂に被覆されてしまえば、少しは癒えるかもしれない。
家に戻ると、Aの家族がそこにいる。久しぶりの休日なのだ。あれほど待ちかまえていたはずなのに、雪崩のようにしてたどり着いてしまったが故になのか、心構えも十分でなく戸惑う。

AとBとして歩いた小道が、変化してしまうことがあるのだろうか。
「あまりにも駆け足だから。」そうBは言った。
Aは、ただうめくようなため息をついて、うなだれる。川岸はいくらでもある。そこに橋がないと思ってしまうのは、何故だろうか。いかに認識するか、それだけであるはずなのに。しかし、言葉にするのは容易でも、その場に晒された感覚には、とても困難なものとしてしか認識出来ないこともまたしばしばある。
それでもまだ歩いた。そうするより他ないからなのか。確かに、未だに言葉を吐くことが出来ないままに、交差点が過ぎていく。
「しかし、とらえ方次第だと、結局問題なのは相対速度なのだから。」
大きな丸を描いた。それが例えば二つ、空間に浮かぶ。ある角度から見ると、重なり合っているように見える。視点が回転していくと、そうではないかのようでもある。しかし、それらは、蠢いている、こちらの視点も変われば、その丸そのものもまた角度が変わる。そのように認識したその一瞬だけを信じるには、あまりにも早く。
潮が引いていくのを感じる。客観的事実とは何か。単独で浮き彫りになる個体。それらが、空間を漂う。死した空間。その個体の持つ恥辱とは。そして、その個体から逃げ出して、浮き彫りになるそれを外から眺めてしまったその本当の正体とは。やがて、そこに戻るしかないというのに。それとも、直視出来ぬまま、それを捨て去るとでもいうのか。AにとってのB。そのあまりにも変形してしまった自らの形状に目を覆い、そしてゴシック体にあこがれるとしても、そのゴシック体が、単独で浮き彫りになったゴシック体が、本当に鼓動するのだろうか。絡み合い変形しながら、愚かしく、しかし、そのときこそ、AとBは生命の中にいると、そういうことなのかもしれない。まやかしが緩衝剤であることを認識しながら、疑似に踊る字体。その落とす影の向きのずれが、全てを暴いてしまうのか。Aはときに、ポンプを体に差し込んで、必死にふくらませて見せた。Bはときに、遠くから隙間を探っていた。
引いていった潮の方向に対して水平直行方向に、風が流れて、砂が少しだけ舞う。そこには、脱ぎ捨てられたAが落ちていた。そして、それはあまりにも軽く、風に煽られて様々に漂いながら、どこかへと消えていってしまった。たとえ誰かがそれを拾ったとしても、それをAと認識することは出来ないだろう。そのAには、あまりにも濃くBの形状が伝染していた。そもそも、AはいつからAだったのだろう。そのときは、ゴシック体だったのだろうか。
「いつもそんな風で、一体何を言っているのだか。」
Aはまたもうめいた。突然に腹痛に襲われたかのように、冷たい汗が流れ始める。
「正しいことなどないというのであれば、譲歩するしかないと、そう思うだけだ。」
ただ、疲れ切っていただけだろうか。確かに肉体の変調は、精神に影響を与えることもある、その逆もか。コーヒーを飲み干すと、随分と機嫌も直ってきた。あれほどまでの苛立ちが、今は、穏やかに笑いの中に誤魔化しきれている。角が削れて、くつろいだ姿勢で横たわるB。勝ち負けではなく、ただ現実がそこに在るのだと、冷めた目でうそぶけば、満足する程度の闘争なのだろうか。Bは、夕暮れを眺めた。グラデーションが映ってくるのを感じた。飛び跳ねると、模様も蠢いた。頬をつねると、変形が波打った。ゴシック体じゃだめ、そう、ずっと、ゴシック体じゃなかったから、影を見れば分かる。
気づけば、違う道にいるかのような気さえする。焦点の合わせ方次第で、大勢がそこにいるようでもあり得れば、誰もそこにもいないようでもあり得るのであれば、そのことも最早問題にはならないのではあろうが。空間は広い、あっちに球体を作ることも出来れば、こっちに立方体を作ることも出来る。そう信じ込もうとした。なのに何故、未だに譲れない特異点が、相対空間であるはずのそこに在るのだろうか。

Bの目覚めは、いつもよりも早かった。気分の張り方が違うように感じた。期待は何を意味するのだろうか。期待の持つ受動性と能動性。Aの笑顔を探し求める。Aのそれと目があった途端に、その期待はさらにふくれあがる。そして、何故、そこに疑いを感じたりするのだろうかと、そのこと自体がばからしくさえ思えてくる。そうだというのに、Aは朝ご飯を食べると、さっさと一人で出て行ってしまった。なんだか、はぐらかされたかのようなそんな気がする。折りたたまれた違和感が、また、広げられていく。噛み合ううずき、そこはかとない欲求は、そこはかとない不安の反映でもあるのか。今日の波は穏やかだ。とても見晴らしがいい。この爽やかな青空、そして鮮やかに反射する波。本当に今日はいい天気、いつもこうだといいのに。波が波を追いかける。追いかけていたはずなのに、気づいたら追いかけられていて、逃げる場もなくなって。でも気が付けばまた追いかけ始めている。
でも、今日は少し風が強い。ベランダに置いてあるゴミ袋が激しく踊っている。それはしょうがない。こんな断崖のそばじゃ何もこの風を防いではくれない。今日のこのぐらいの風ならどうってことない、第一こんなに晴れ渡っているのだから、何も気にすることはない。嵐の夜はとてもひどいから、それに比べればこの程度の風なんて。この家は、風をまともに受けてしまうから、壊れるのではないかと、Bはいつも思っている。あちこちが激しく音を立て始める。不安定なリズムが、さらに不安をかき立てる。そのこともちゃんと考えて随分と丈夫に作ってあるから大丈夫らしいけど。どんな地震が来たとしても大丈夫なぐらいだから、かえってとても安全な所に住んでるってことにもなるのだとか。崖ごと崩れてしまったらどうするのだろうか。でも、何とかなるもんだって。何とかなってしまうんだって。
玄関の方からにぎやかな音が入り込んでくる。Aが帰ってきた。空気が和らいでくる。

Bを軽く抱きしめる。Aを軽く抱きしめる。香りが漂う。光があふれ出すようだ。誰だって、第一層目の感覚はすり減ってしまっていて、だから、抱きしめあうと、そのひりひりとする第二層目が、刺激しあって安心感に変わるのかもしれない。ただの日常の光景じゃないか。笑い声が、会話の中にあふれ始める。そもそも、こんな休日に心構えが必要だなんて捉えていたこと自体がばかげていたんだ。ずれていた座標系が近づき始め、やがて、浜辺で横になる四人となる。昼食が胃の中で消化されている、弾む会話が、適度に胃酸を調整してくれる。並んだまま。全てが、Aであり、Bであり。組み合わされて、時には、分解したそれとして、少なからずそこに踏み台が在るという事実のもたらす別の意味合い。求め続ける、そして、求めすぎる欲求。脈動する衝動。それは、認識の中に昇華されるべきであって、それを対立させてはならない、それは決して止揚されることのないただのわだかまりとなるだけだから。混ざりきらない混じり合い、もしくは接続。

隙間には、いずれ何かが入り込んで、やがて入りすぎて、そして破裂する。全ての行為との連関も持たぬままに、突然に足下が崩れていく。滑り行く未来を抱き留めることも出来ずに、呆然と立ちつくすと、森の中へ、それとも海の底へ、様々な生命の感覚が、肌の上をそぞろに上っていく。Aはとっさにそこに在った建物の中に隠れる。最早Aには受け止めきることが出来なくなっていた。嵐が、断続的に襲いかかる。何時までも、何時までも。追いかけてくるかのように。一体何に耐えているのか、そして、この地面は、一体何なのか、そして、この足は、いかにして踏みこたえているのか。そもそも体重なんて、力なんて、すると、風に耐えることなんてそもそも出来ないことだったのかと、何かが自分の電源を止めようとする。だから、最後の力を振り絞った。そして、この建物にたどり着いた。Aに吹き付ける風は止まった、そして、それは建物がきしむ音に変わった。耳元で何かがささやく。目の前が突然遮断される。壁にぶつかる、何かがAの中でのたうち回る。Aはつまりそこにたどり着いてしまった、そういうことなのかもしれない。どっちだ。何が内で、何が外なんだ。誰が味方で、誰が敵なんだ。板をはがしてしまえと、いや、土の中に潜り込むべきだったのか。外に出ろ、ここは違う。雨の音が、そういえば、したたり落ちてきている。外か。シミが床に広がる。やがて水溜まりから大きな池へと成長する。内なのに溺れる。足をばたつかせ、ここには二階はないのか、逃げなければ、それとも、この小屋ごと流されてしまうのか。椅子を重ねた。その上に座った。水面が家中に広がり、そして上昇してくる。バラバラに椅子を重ねただけだから平衡が悪い。ぐらついた。安定を図るために硬直すると、愚か者めがと罵るAの組まれた足が、憎たらしい。そして、崩れた。その途端に水は引いて、Aは床にたたきつけられた。そして、壊れた。バラバラになった物の内、どれがAの手足で、どれが椅子のそれか分からなくなった。それとも故意か。つなぎ合わせた。気づくと、椅子がAの体にくっついていた。飛び跳ねた、だけど、飛び跳ねるよりも座る方がいいに決まっている、そのくっついた椅子の上に。窓ガラスがいつの間にか割れて、直接に風雨が投げ込まれてきている。いや、天井だって、もう随分と前から崩壊している。内なのか、外なのかと問われれば、それでも内だと答えるより他ない。AはAのその椅子をガラスを失った窓に向けてせせら笑った。しかし、吹き込む風に後ろから突かれて、そのまま前のめりに倒れてしまった。手を突いたら、その手が床を押し破って、顔面を床で強打した。腕は不案内な空間に浮き、掴むものも掴まぬものも、全てが不気味で、そして、痛む顔をなでてやることすら出来ない。ここが我が家だ。ここに帰ってきたのだ。なんたるざまだ。ここは我が家なのだぞ、ここは、ここは、私がいるべき所なのだぞ。Aは叫んだ。椅子と同化した下半身は、なかなかうまく動かない。そして、そのまま顔が雨水の、その小さな水溜まりに浸かってしまいそうだ。それは、それとも、汗なのか涙なのか、分からない。泳げと、足をばたつかせる。勢い思いっきり息を吸い込むと、その水も飲んでしまった、埃黴びた味わいに嗚咽しながら満足した。やがて、床がさらに崩れた。そのおかげで手が解放されて何とか立ち上がることが出来た。汚れている。なんてことだ。屋根が半分しかなかった。雨が降っていることが手に取るように分かる。ずぶぬれだ。部屋の角に行った。暗がり。そこにはいろんな生物がいた。みんな雨を避けようと若干ながら残っている屋根の恩恵を受けることの出来るその一角に集まってきていた。そして、そこにはAのための隙間は残されていないかのようだ。いや、そんなことはあるまい。ここは我が家だ。うなだれることはない。Aは自分の椅子に座った。考え込んだ。分かるわけがないのだが。降り止むまで待つべきか、待たぬべきか。誰かが外からドアをたたいていることに気づいた。そういえば、とドアを探すと、意外に頑丈そうなのが一つ在った。「はい」と、Aはとりあえず声を張り上げた。ただ、全て雨にかき消されて通じていないかもしれない。戸惑った。椅子から立ち上がった。兎に角椅子を取り外そうとしたけれど、無理だった。扉へと近づいていく。扉の前に立ち止まった。ここは我が家です。だけど今となってはそんなことはどうでも良い。だけど、どうでも良いけれどここは我が家なのです。これが私の意見です。苦笑いしながらAはそう叫んだ。笑いが止まらないような気がしたが、そうでもなく、むしろ寒気がしただけだった。すると、ドアが開き始めた。目をかっぴろげた。

はじけ飛びそうな会話の渦が舞う。そこには、まるでBしかいないかのようだ。いくつものいくつものB。Bのその根本的な形状を破壊しない程度の変形体のみであれば、それらは全て結局はBとして認識されてしまい、例えばそれがAと認識されるようなこともなければ、全く形状を意味しない、無意味な固まりとして侮辱されてしまうこともない。筏が滑るように流れていく水面。確かに下流へと向かって流れてはいるものの、なんと静かなことだろう。鳥が空を悠然と舞うのを悠然と捉えることも出来るし、山の中から響き飛び出してくる何かの鳴き声に耳を傾けることも出来る。しかし、今は食事の時間であるから、そうだバーベキューまで出来てしまうほどの平穏な筏の上にB達はいた、それらの光景や物音は、完全に魚眼レンズの辺縁に追いやられてしまっていて、ただ、たらふくにと食事が胃へと運び込まれる。気が向けば、川の中に飛び込んで、ゆっくりと水泳も出来たし、筏の上に寝ころんでしまえば心地よい昼の睡魔に身を任せるのみ。雨が降ればさっさとその川から退散してしまえば、それでいい。例えば、野原で蝶々を見つけて追いかけようと思った時には、ただその蝶々のことだけを気にして、それで必死になればいい。それが、どういった種別の蝶々なのかなんて、それは、経験の裏付けでしかなくて、今までにほとんど見たことのないそれであれば、それだけ追いかける目つきが変わるだけ。それに、そんなBを怪訝に眺めているかもしれないAのことなんて気にしなくていいし、おそらく、そんなAなどそのBの周辺にはいないに違いない。本当にそうなのかどうかを確認したければ、少しずつ視点を下げていけばいい。蝶々を、水平方向で左から全体の四分の一の辺りに、鉛直方向ではほぼ画面の中心部に配置して、右半分のほぼ全体を使って、Bを配置するようなそんな画面構成では、その周りにある草原や、空が十分にわかりにくいし、ここで言及するAの存在の有無や、そのAそのものについての情報など分かりようがない。だから、その蝶々とBを小さくして、画面の中にその周辺を押し込んでいってやればいい。すると少しずついろいろなものがその中に入り込むことになる。気になる所があれば、そこを中心に拡大してみればいい。おそらく、何か別のものに気づく頃には、肝心のBが点どころかどこにあるのかさえ分からなくなっているに違いないし、そのころにはおそらくBも家に帰ってしまっているだろう。蝶々を捕まえることが出来たかどうかなんてことも最早どうでもいいことだ。そこまで様々なものを画面に捉えて、その中の様々なものに興味を持って拡大し、また縮小し、それを続けていくうちに、もっと別のものを発見してしまっているに違いない。その興味の次元がどうであれ、Bにとってもそれは同じであろう。Bはやがて蝶々を追いかけること自体にも興味を持たなくなっているだろうし、それにいつまでもBの形状を失わないままに表面的な変形を繰り返してばかりもいられないものかもしれない。

空間上の点は、時間軸を与えられることで、線として表現することが出来る。それは一種の積分であることが理解される。
大きく広げられた風呂敷のような上に、AもしくはBは投げ出された。AにはAなりのその風呂敷のとらえ方があったろうし、BにはBなりのそれがあったろう。さらに、その風呂敷は、何枚も何枚も在る。AとBが混じり合った時に、そこに新たな風呂敷を作り上げることになり、そして、その上に再びAやBが現れる。そこには、なかなか計り知れない巻き上げられたものが感情として、その本当の接触に対して深い意味を持つこともある。
浜辺に横たわった四本の棒。人によっては、それは海から流れ着いた流木かもしれないと捉えるかもしれないし、キャンプファイヤーで余った木と捉えるかもしれない。しかし、日が暮れれば、もしくは、適当な時間が来れば、その四本の棒は普通に会話を交わしながら、適当により道をしながら崖の上の家へと帰っていき食事を始め、つまり生活を始めるだけである。
第二節 テーブルクロスを広げて

直線と丸。直線はすらっと、左辺を下から上に、もしくは上から下へと画面の左五分の一を占める程度に伸びている。円はその半径があまりにも大きすぎるために、その直線と接するようにしてそのすぐ右側に在るのだが、一部しか見えてはいない。そして、直線の上から見ると、それはまた直線でもある。別の視点から捉えれば、直線、もしくは放物線に近い形状で、それは深く潜っていくともいえよう。その表面素材で言えば、それらはまた、大きく異なる。例えば、その色合い。そこにそう見える色のその理由は異なる。光の反射に他ならないのは同じだ。表面素材そのものの色合いと、ある程度の深度までもが影響するその色合いの違い。
いつだって暮らしはここに在る。(AとB)達はそこで暮らしていたのだから。崖の上の小さな家。住宅地として開発された土地の一角であり、何の不便さもなければ、何の特殊性もない。たまたま角地であったから、崖の突端みたいな位置関係になっただけだ。学校に行くし、会社に行く。
大海はいつも窓の外に広がっている。広くどこまでも青く輝き、水平線が丸みを帯びる時もある。船が行き来すれば、鳥も舞う。そして、潮の香りのする風はいつも吹き付けてきて、たとえ穏やかなそれであったとしても、物をじわじわと破壊していこうとする力を持つ。勿論、家も耐えようとする力を持つ。

ある平面に対する思考のみでは、どうも不十分なことはしばしばある。そんな時には、別の次元が介在する可能性について考えてみる必要が出てくるだろう。確かにその四本の棒はAとBによって構成された風呂敷の上に在るのかもしれないが、Aはこの風呂敷と交差する別の軸を持っているし、それはBにとってもそうだ。そして、もっと開いた所から眺めれば、その風呂敷からはいくつかの正に棒が放射していることに気づかされるに違いない。そこに明確なベクトルが感じられるものもあれば、そうでないものもあるだろう。針金が飛び出す風呂敷。
包み込む風呂敷とは。広がっていく風呂敷とは。

Bはテーブルクロスをぱっと広げて食堂のテーブルの上に投げかける。空気抵抗が、テーブルクロスに柔らかな凹凸を作り上げる。前のは、随分とサイズが小さかった。いつもAにからかわれていたから、こうしてBは新しいテーブルクロスを思い切って買ってきたのであった。みんなきっと喜ぶはず。随分としみこんで落ちない汚れも付いてしまっていたことだし。Aはどう感じるだろうか。模様は出来るだけ対象性のものがいいだろうか。色合いは、あまりごちゃごちゃしたものだと、良くないように思える、食事を取る所なのだから。比較的あっさりとしていて、ほとんど気にも留まらないぐらいの模様、そんなものがいいのじゃないかと。例えば、黒から白へと少しずつ色が変化していく何本かの棒が空間を十分に感じさせるほどに、欠乏的に、配置されているそれなんて良さそう。そして、Bはその印象に一番近いと感じたものを選んだ。それはそれできっと間違った選択じゃなかったはずなのだけれど、ただ、サイズがぴったりではなかった。今こうしてふわっとテーブルに掛けてみると、テーブルの四辺からたれるテーブルクロスが、そのまま床にまで届いて、さらになおのこと、そこから優雅に床を這っている。裁断してもらえば良かったのだろうか。でも、だめだ。それじゃ意味がなくなってしまう。裁断してしまったら、その途端に違う模様のにしておけば良かったって思うに違いない。このサイズじゃないと。Aなら、こんな具合の方が気に入るのかもしれない。いえ、これがいいんだ。断固としてこれでいいんだ。Bにとってはこれが一番なのだから。
大きすぎるテーブルクロスにくるまれたテーブルを囲む四本の棒。時々そのテーブルクロスを椅子の脚で踏んづけてしまう。
「テーブルクロスには適切な大きさってものがあるはず。」
「でも、模様だって、テーブルクロスにとっては大事なことさ。」
「誰が何のためにそう決めたのかってね。そう思いこんでるだけじゃ。」
「これじゃ不便じゃない。掃除もしにくいし、きっとすぐ汚れてきてしまう。足もどこにどうおいておけばいいかわからないし。」
「テーブルクロスって、何のために在るんだ。」
「見栄だろ。どうでもいいよ。腹一杯になればそれで。」
「それじゃぁ、料理だってそうじゃない。」
「そうだけどね、そんなむきになることじゃない。」
「前の時は短すぎるって言ってたのに、長すぎるのはどう思うの。」
「とっても気に入っている。すごく生命力がある。とても論理的に長いね。前のは、非論理的に短かったから気に入らなかった。長いか短いか適切かだけが問題なわけじゃない。」
「でも大変よ。」

部屋の中をうろうろした。そして、町の中もまた同じように。その間に何を感じ取ろうというのか。様々な刺激が外部から入り込み、そして内部でもまた活性化が起こる。崖の上から見下ろすことと、そして、見下ろされることとは同時に可能なことなのだろうか。一体自分は何を欲しているのか、それだけが重要なことだと言われれば、そうかもしれない。それは分かるのだ。その道を行進する人々のその足踏みのリズムの統一感と、ときに分岐する道の、しかし、意外な整合性と。それが、今にも崩れそうな崖道であると認識した場合にはどうなるのだろうかと、そこに言及したいだけなのだ。仮説にすぎないのかもしれないが、しかし、真実に迫るためには、時には仮説が大いに役立つ。Aに違いないと思って、めくりあげて、すると、そこにBが現れたという経験はないだろうか。その途端に、歩むリズムを狂わされてしまうというそんな経験はないだろうか。その感覚に溺れそうになり、だから、部屋の中を、町の中をうろうろしてしまうのだ。リズムが崩れないことを祈りながら、それと同時に、リズムはもう崩れはしないということを確認するために。しかし、祈りなどでは通じない。不確定な要因に対しては、本当には不安を取り除くことなどできはしない。だから、その不確定な要素に対して、何とか確定したいのだが。だから、崖の上から見下ろしながら、見下ろされたいと思った。それをAに違いないと確信した理由は何かということと、しかし、それがBであったという事実と、そのずれは一体何によって導かれたものなのだろうか。そもそも、それらがAかBかなどどうでもいいことだという議論もある。確かにそうなのだ。そうであったらどんなにいいことだろうと。例えば、そもそもめくりあげる必要のないものをめくりあげてしまうから。めくりあげる必要なんてないのだと。それは、何も何かを隠したいという衝動があるわけではなく、それが実際には何も意味しないものなのだから。この道に充ち満ちているこのリズムを感じてみれば。そうだ、そうに違いない。しかし。実のところ、そういった議論ですら、気づけば、AとBに変形してしまっているといえる。Aを議論していたはずが、Bについての議論に変化し、本来のAとBは一体どこに消えてしまったのかと。そもそも、それがいかにして現れたのかといえば、それは、めくりあげた時の感覚だった。一方で、その後に現れたAとBはめくりあげないことの感覚による。異なる座標系での議論には、意味がないとすれば、その座標系に影響を受けてしまう深度での議論は意味をなさないことになり、共通の座標系を探し出すか、その座標系を超えていく必要があることになる。しかし、ここでもまたAとBのずれが発生してしまっていることに気づかされる。めくりあげてしまった感覚Aにとってはこれは重要な議論であるにもかかわらず、めくりあげない感覚Bにとっては、このような複雑化する議論は重要ではなく、ただの時間の浪費にしか感じられはしない。だから、Bは今はすでにリズムを感じながら、遠くに離れ紛れてしまっている。Aはそして、崖の上から眺めおろしているという感覚に突き落とされてしまっていることに気づき、錯乱を感じる。

ひしゃげた三角形。いつまで、碁盤目状に並んだ群衆であるBらはそこに座り続けるのだろうか。六時三〇分。ひたひたと潮が満ちてくるかのように何かが押し寄せてくる。何のために川を泳ぐのか。一体何のために。時間の問題である。そうだ、誰もがこの静寂の中に、腰が蠢いていた。風が通り抜ける、ただそれだけでも良かった、ただ何かのきっかけがあれば。何故そのような空気がそこに漂っていたのかなど、今更質問してもしょうがないのかもしれない。全てが自明であったようにも思う。それでもなお、何故かと。一人が、溜まらずに立ち上がった。一斉に非難の目が注がれたが、その次の瞬間には、ほとんど全ての人が、立ち上がっていた。奇妙に整列した碁盤目。点滅するかのようにどこかで誰かがしゃがみ込み、そしてまた立ち上がる。何かのための合図のなのか。それとも立ち上がってしまうと、その途端に全ての目的が達してしまったかのようで、それ以上何をすべきかの目的を失ったその集団の混乱なのか。確かに、その一斉に立ち上がった人々の津波のような勢いは、その波頭を擡げたままで静止してしまった。そして、そこにまた混乱が広がり始める。小さな蠢きがその中に少しずつ蓄えられていく。陽炎に揺れる碁盤目。何が何をつなぎ止めているのか。それともこの映像を観察しているA自身があまりにも感情を失った受容器と化してしまっていることの過ちなのだろうか。第二層目にしか立脚出来ないこととは。では、ここにいるBらは、第一層目なのか。その海の中に飛び込んでみるがいい。するとその小さな蠢きにしか見えなかったそれぞれが、もっと別の様子に変わって写るかもしれない。その身振りの訴え。今にも駆け出そうとするその足。それを静止させてしまうその付け根の筋肉の緊張。歓喜の笑い声。苛立ち。とてもとても冷たいオブジェ。しかし、その冷たさが故に。空を眺め続ける人。地面にひれ伏して、祈るのか否定するのか。無理矢理拡大された画像は、しかし、ドットが不十分で、過ちの想像によって歪んで補完されていく。何故飛び込めないのか。何故引き延ばされただけの本質的には変わらない画像に執着するのか。呼吸が出来ないなどは言い訳にもなるまい。傍観者なのか、観察者なのか、それとも評決者なのか。渦に巻き込まれて消えていく。それとも、自らもその碁盤目の一つになって、そんなことは耐え難いとでもいうのか。何が、何が。ここからでは、その集団が次にまたしゃがみ込むのか、それとも歩み始めるのか、散逸していくのかも分かるまい。目をそらす。あの最初に立ち上がった一人を褒め称えるのか。非難するのか。従う。何に。断崖を前にして、分割されたA。その半分ははがれて、十分な重量を持たぬまま崖から落ちていき、空気の抵抗に舞い、そして飛び立っていく。その半分は今も断崖の先端に立ちつくす。

いつも直線を引くわけではない。棒なのだから。棒は直線ではない。直線と限ったわけではない。だけど、気づくと直線だけしか引いてなかったかのように思う時がある。それは、積極的に捉えられる時もあれば、消極的に捉えられる時もある。確かに、波というと曲線のような気がするにもかかわらず、この家にいるとそうではないと気づく時もある。上からでは、直線の波を見ることも多い。

広い画面のほぼ真ん中にAが在る。輪郭だけがやけに強調されたそのAは、正にAであるそれであろうか。透明なシートに色づけられたページがめくられその上に重ねられると、Aはわずかに色づき、そして、Aは大きな山の麓に在ることが判明する。そしてまたシートがめくられると、先ほどの山とは反対側に遙か遠くから緑の丘が続いていて、そしてその緑が途絶えた所からは砂漠が始まり、Aはその砂漠の砂に膝まで沈んでしまっていることが判明する。しかし次の瞬間、Aは多くの人に囲まれて、談笑している。日は強く照りつけて、汗が輝く。Aを飲み込もうとしていた砂は薄れ、波打ち際の飛沫が足下を装飾している。Aは逃げているのだろうか。一本道の上で、顔は足の向きとは反対方向を伺っている。鬱蒼とした、背丈以上の草に覆われて、手で掻き足で掻き草をなぎ倒しながら、どこへ進んでいるのか。向こうには深く土色に濁った川が流れ、あちこちで生命力が臭気を発している。整然と並んだ机の列。規則正しい服装に包まれた情景。素早く反復運動する足の震動は、Aのどのような感情の反映なのだろうか。雨が降る。二人で一つの傘。Aの横にいつしかBが現れてきている。周囲は今や様々な色が重なり、判別不能になってきている。だけれどもまだ、Aはその画面の中心で、ただ輪郭がぼんやりとにじみ出している。AとBの後ろ姿。画面が少しずれて、AとBの間に中心点が現れる。すっと全体がずれて、今までの背景から剥離していくと、広い画面のほぼ真ん中にAとBが在る。ぱらぱらとめくると、それ相応の変化がそこに現れる。AとBの中のAとB。それは、Aの中のAとBと同様に。勿論、画面のずらし方で、Bを真ん中に据えれば、当然そこにもAとBが在る。

逃れ出なければならない。Aはただ、そう思っていた。もしくは、感じていた。必死に進んだ。山を登っているのか、草原を走っているのか。足の裏で波が揺れている。Aは揺られ、そして結局どこを向いているのだろうか。逃げなければならない。その負の印象からすると、その時点でベクトルの過ちがあったということなのだろうか。負は正の反対にすぎないとしたら。そして、その正が本当は負だとしたら。そのいずれがいずれかは、一体誰が決するのだろうか。ただ、事実としてAは遠ざかって行っていた。そして、時には深い縦穴の中に隠れた。そして、時には海に潜った。様々な所で、様々な風に。しかし、最大の問題は、どこまでが敵地なのかが分からないことにあった。だから、どこまで逃げればいいのかも分からない。後ろを振り向いた次の瞬間には、どっちが前だったのかも分からなくなる。だから、ときに町の中を放蕩した。路地を曲がるうちに方向を見失う。これはさっきも通った道だったろうか。でも色合いが違うように思う。黄色に染まる垣根の間を青い道が通り過ぎると、そこには結局灰色の道が残るだけ。空は赤く染まり、Aは一体何色に染まるのだろうか。そもそも、何から逃げ出さなければならないのか。何に染まるのか。街の中にいる。この街は、Aにとって一体。街は平均値のようにそこに在る。握手をしよう。そのような問題ではないのではないだろうか。遠くを見渡して、その隙間を伺う。敵なんて本当にいるのだろうか。ただ現実が在るだけなのではないのか。
Aの周りにはAが漂っている。それは、ある程度の確信を持てる数少ない事実ではなかろうか。勿論、認識の他者間における互換性について、完全な保証があるわけではないが。その漂うAと何が対立するというのか。Aを点で表現したならば、Aは箱の中にある点光源のように扱ったとしたら。箱の中に何が在るのだろうか。箱は何によって充填されているのだろうか。そこには、Bも在るだろうし、Cも在るだろう。それらは、多数決の原理に支配されるのだろうか。そこにある点光源はどこに在って、何を照らすのか。それとも、ただ弱々しく、他の光源に打ち消されてしまうだけなのか。
箱の中を蠢くと、いつしか、どの瞬間かには箱の外に出ることが出来るのかもしれない。しかし、確率論の世界であり得ることと、はかない希望との間にある壁についての観念が、まだ、そのときのAには不十分であったのかもしれない。蠢き、蠢き続けた。

やがてBは、様々な刺激を受けるようになった。様々なものがBに激突する、もしくは、ただ軽く触れる。すると、Bは変形を余儀なくされることもあり、もしくは、逆に別の何かに変形を強いることもある。全てがBであるわけでもない、全てがBのように駆けめぐるのでもない。横から見ると、細長い棒であり、上から見ると、やっとBだと分かるそれは、しかし、やがてより太く短い棒に変わり、場合によっては横からだって、Bと分かるそれに変わる。広い平面に分布すること。最早、その棒だけで、Bであるわけではない。だから、Bも漂い始めていた。漂い始めると、感情がさらにあふれ出すのを感じ始めてた。その感情は、Bをいびつに変形させることもあれば、人の気を引くほどの美しさ、もしくは興味深さを持つほどに変形することもあった。でも、BだからBなのだ。だって、ずっとそうなのだから。だけど、Bって一体何なのだろうか。変形は、何も、外面にだけ起こるわけではない。じわじわと何かが変わる、そしてある瞬間に大きく外面を揺さぶることもある。変形の仕方を認識し始める。Bであるままに変形すること。
波は何が起こすのだろうか、海底の形状だろうか、海面を吹き抜ける風だろうか。球面に照りつける太陽の温度分布だろうか。いずれにしろ、それは、Bにも、Aにも思い通りになるわけでもなければ、予測しきることも出来ない。
Bは何故にそこに漂ってきたのだろうか。船の上から、手を振る。それは、Aの錯覚だったのかもしれない。欲求が、その情景を要求して、そして、実際にそれを見たと感じてしまっただけなのかもしれない。視点を変えれば、Aがそこに漂ってきたともいえる。とてもとても大きな風呂敷の上で、何が接点になるのかなんて、実のところ明確には分からない。風呂敷は、繊維で出来ている以上、ただのっぺりしているだけでもないのだから。しかし、最終的には、その船に乗り込んだのだから、今や、それがどのような理由であろうと関係ない。勿論、未だに、Aは箱の中を蠢き続けているし、Bは変形を繰り返しているし、その逆もまた。ただ、それぞれがそれぞれにとって、大きな影響因子になったことは否定出来ない。やがて、その船は、崖の上の家に変わった。小さな机に、その時点ではちょうどいい大きさのテーブルクロスが掛けられた。
潮風の進入を防ぎきって、閉じられた窓とカーテンの中に暗闇が形成される。AとBが蠢き、もつれる。そこに在るのは、点光源ではない何かなのだろうか。薄いカーテンの向こうから月明かりが面光源としてうっすらと明かりを落とす。AとBが変形する。字体がゆっくりと押し広げられる。ほのかな緊張が、いつしか弛緩に変わる。グニャグニャと、形状なんてこんなにたやすいものだったのかと、Aは心の中でそっとつぶやく。Bは光源の持つ明るさと暗さを改めて感じる。
第三節 海の中で

一本の道の持つ情報、もしくは、その特性について。どこから始まりどこまで続くのか、どちらがそもそもの起点であるのか。何故に必要とされたのか。そして、それらはいかにして分岐していくのか。その道上を移動するものにとっての辛さはどの程度なのか、それらは、用途によって変わるものなのか。道幅についても。そして、行き止まりとは、一体どのようにして出来るのか。
海辺、遠浅の海岸、水平線。それらの持つ情報、もしくは特性について。何故出来たのか、それはいつ頃のことなのか。そこに含まれる原子は、分子は、何がどのように結合したのか。生命体。小さなもの、大きなもの。流れ込む、雨が降る、蒸発する。波が押し寄せる。暖かくもあれば、冷たくもある。対流、氷、溶解。
崖の上から見ているだけにすぎない。知らなければならないこと、知らなくてもいいこと、知らなければ耐えられないこと。

風呂敷に穴をあけるということ、それは、針金が刺さっていることとは、少し違うことなのかもしれない。伸びていく。どこまでも伸びていく繊維。その破綻とは。確かに破綻しているかのような痕跡が見える。では、破綻とは一体どのような状態なのか。
穴をあけるという問いかけに過ちがあるのではなかろうか。編み直す。

地面と格闘するA。
「おいおい、こんな所に畑でも作ろうってのかい。止めた方がいいな。で、何を植える、何だ。なんか、いい植物でも開発したのかね。しかし、さすがにここじゃ無理じゃろが。それ、いくらやっても、ほとんど掘れてなんかいないじゃないか。こんな固い地面、風が吹いて、何とか表面を少しずつ削っていく以外には、変化などせんのじゃ。えっ、それに水はどうするんだい。この近くには川も通ってない。地下水ったって、畑作るぐらいにも掘れないんじゃぁ、とても、地下の水脈までは辿り着けんじゃろな。水路かてそうじゃろが。」
それでも、地面と格闘するA。
「ふん、聞く耳持たぬか。何でそんなに必死なんじゃ。あっちにもこっちにも住む所はあろうに、何なら口聞いてやろうか。それとも、なんかしちまって、町には住めねぇような身分なのかい。」
ようやくに顔を上げるA。
「私はただ、こうしてみたいからやっているのです。町なら、きっといつでも行ける。確かに逃げていたような節はありますが、それは、ものの見方の一面でしょう。これは、また別の一面です。」
「ふぅ。よく分からないな、まぁいい、無理はするなよ、こうやって話した以上、ちょっとは情が移るってものだから、のたれ死にでもされちゃなんか気に障ってしまうからな。」
汗が流れ落ちる。確かにどうにかなったわけではない。必死に表面を砕いたところで、さっと風が吹き抜けると、その砕いた残骸はどこかに運び去られて、その後には、確かに若干は窪んでいるかのようであるにしろ、実質的にはほとんど変化のない地面が在るだけ。一体何を信じてこのようなことをしているのだろうかと。一体何のために。彩られる町を抜けた。草むらを抜けた。砂に埋もれながら走った。雨の中も、ごつごつとした山道でさえも。そして、これに違いないと、そう確信したはずなのに、その確信が、むしろ崩壊の始まりであったのだろうか。地面は地面にすぎない。その上に立っているのだ。惹きつけあう重力とは。そして、重力の作り上げる座標系とは。
むなしさをむなしい行為で打ち消そうというのか。しかし、それによっても、何も生産出来ない。ただ、空腹を不必要に促すだけ。テーブルクロスの上には、食べ物がのせられなければならない。誰がいかにしてのせるのか。
堅い基盤。決して液状化しない土層。実のところ、これこそAが求めていたものなのだろうか。否定に対して、真っ向から反発するもの。否定をただふらふらとかわそうとするだけではないもの。重力の方向に対して水平に存在する壁。重力の方向に対して鉛直に存在し、厚く厚く広がる地面。受け入れることと、認識することの違い。実のところ、平面にではなく、球面に張り付いた座標系。いや、それどころか、もっと汎用的な座標系。
Aは、いつからAとなったのだろうか。Aはそのような質問をもっとも嫌い、そして、その質問に怯えてもいた。全てが接続されて認識されているわけではない。そう、それっぽくつぶやくことでしか、Aには抵抗することが出来なかった。勿論、そもそも、どの時点で、何かの形状になるのかという問題は、常に決定するには非常に困難なものでもある。しかし、それにしたところで、変数の数は限られているのが通常である。Aには、あまりにも変数が多すぎたか、もしくは、少なすぎたようだ。辿っていこうとすると、いつも発散してしまい、近似式によっても、決定的な解からはほど遠い所にしかたどり着けなかった。アメーバ状の物体。立体感にも欠け、形状も一定しない。周りには、AもBも在ったようにも思うが、そもそも、それらもまた電車から眺める景色ででもあるかのように変化し続けていた。だから、Aとなる前のAはいつも震え続けていた。遠くから見ると、とてもふわふわした柔らかい大きな固まりのようでもあった。漸く立体感が出始め、形状の安定度が高まった頃に、漸くAは自分をAと認識出来た。しかし、それが本当に客観的にもそうであるか否かについては、はっきりしたことはいえない。そして、ときに何故、わざわざ自身でAと認識しなければならないのかがよく分からなくなる。
どこまでも続く平面。波打つのはその地表の凹凸なのか、それとも暑さの所為なのか。少なくとも、波ではない。そこには海はない、ただ地面が在る。前も後ろも、勿論右にもも左にも。そして、まるで日時計のように、呆然と立ちつくすA。これもまた一つの側面であろうと、必死に表面を装うことしか出来ない。風が吹き抜けたぐらいで、何が吹き消されるというのか。例えば、海が、風の一拭きぐらいで消え去ることなどあるわけもなかろう。しかし、シートは何枚もめくられ、重なり、そして、また特別な絵だけが浮き出すということもあるかもしれない。そうだ、物事は重層していくものなのだ。中空の球体の中に転がる、それに比べると随分と小さな玉。しかし、実のところ、その中空の球体も、それよりもさらに大きな中空の球体の中に転がる小さな玉にすぎず、そしてそれもまた・・・。そのような重層化した球体がいくつもいくつもあって、重なり、交わり、複雑な造形を作り上げる。ただ、いずれにせよそこに堅くどこまでも続くかのような地面が在ることには、変わりのないことなのかもしれない。

何故こんなにも広大なのだろうか。Bはつぶやいた。つぶやくしかない。一人になればなるほど、言葉を吐きたくなるものだ。座り込んで、木片を赤ん坊を抱くように抱え、遠くを眺め、近くを眺め。そして、またBは作業に取り掛かる。木片を左手で支えて、右手に彫刻等を握りしめて、造形を思い浮かべながら、物体へと展開していく。今までにいくつもの彫像を彫ったけれど、それらがどこに行ってしまったのか、Bにも分からなかった。ただ、いくら自分の周りを手探りしてみても、そこにはなかった。広々とした大地に風が吹き抜ける。手探り出来る範囲どころか、見渡す限り、これといったものは見えない。地面が在る。木が草が生えている。虫が飛んでいる。何かが蠢いている。太陽が照りつけている。雲が流れる。また、風が吹き抜ける。Bの周りには、しかし、今まで彫ったはずのその木の何かの造形になった物もなければ削り落とされた木の破片すら、やはりない。Bは、しかし、また彫り始める。ゆるりと歪んだ全体の形状に凹凸の激しい表面が、その元来の素材を主張する。そしてその主張はBの主張と相対しながら、少しずつ整形されていく。すぐに、その広大な景色が消え去るほどにBは木の中に取り込まれていく。やがて、その木片のどこかに突起が現れ始める。木片の中から、にょきにょきと伸びてくるかのように。周りを掘り込みながら、いかに際立たせようか。削り後の残るほどの荒々しさがいいだろうか、それともつるつるに仕上げる方が素敵だろうか。木片の至る所にあった角が削られていく。表面にはいくつもの筋が掘り込まれていく。表面素材が、元来のそれと、加工されたそれに二分化される。しばらくすると、ある一カ所に細い穴が掘り込まれていき、その木片の内部が探求され始める。いくつもの層を抜けていく。細い穴が侵略していく。Bはそこを覗き込むようにしながら、掘り進む。小指に、先ほど作った突起を絡ませながら、手のひらで表面素材の筋を確認しながら。やがて、貫通した。その向こう側に広大な大地が現れた。先ほどと何も変わらない。Bは木の中からまた外に追い出された。木片を、何かの造形に変形した木片を抱えながら、またしても、呆然と景色の中の小さな点になってしまう。風が吹き抜けていく。削り落とした木のかけらがその風にさらわれていってしまう。何故前掘った木片はもうここにはないのか。二つ並べて、この地面に置くと、なんとも素敵な和やかさが演出されそうに思うのに。だというのにどこに行ってしまったのだろうか。しるしを彫っておくべきだったのだろうか。例えば、これにはAと、そして、次の物にはBと。そして、二つ並べる。しかし、今ここには、今出来上がったこれ一つしかない。一つしかなければ、AやBと記号を付ける必要もないのかもしれない。それとも、次の物のために、とりあえず付けておくべきだろうか。Aがいいのか、Bがいいのか、それとももっと他の記号がいいのか。何だって変わりがないじゃないの。そんなことにこだわったところで。周りに広がった景色を、どこに焦点をあわせていいのかも分からないままに眺めやると、そんな投げやりの答えしかBには思いつかなかった。何故、ここは広大な大地なのかと、そして、またBは自問してしまう。すると、周りに教室が現れた。机の上にその彫像を置いて、周りで人々の声が聞こえる。その声は、小さな教室の壁に反射しながら渦巻いている。いや、小さな部屋の中に一人いる。ゴミ箱の中に削り落とされた木片があふれ出しそうなほどに放り込まれている。Bは涙を流し始める。Bは笑い始める。Bは怒り始める。目の前でその木片を眺めながら、誰かが何かを言っている。Bは小さくなる。言い訳を捜し求める。だけど、木片は、最早生命ある大地から切り離された根っこも何もかもを失った、ただBの感覚によって覆われた物体でしかない。また、大地が現れる。何故これほどに広大なのだろうか。そして、なぞこれほどまでに矮小なのだろうか。

本当に、Bはそこにいるのだろうか。例えば、この地面を受け入れることと、Bの存在との間に何らかの関係があるのではないかと。Aは思った。基盤の上に、堆積した土。その上に作り上げられた構造物。踊れ踊れと、誰かが声を掛けた。いや、誰かが声なんか掛けなくても、その上でなら踊り始めてしまうに違いない。何が一体そこに堆積しているのかなんて、Bは知らないだろうし、Aも知らない。あの崖だって、本当はちゃんと調べてみなければ、もしかすると、今にも崩れてしまいそうなものなのかもしれない。でも、今はそう在る。
激しく何かが対立する。柔らかく受け入れあう。そこに育て上げられるものは、一体どのようなものなのだろうか。常に摩擦に晒される第一層目の感情。柔らかくなでられる第一層目の感情。いずれにせよ、やがてすり減ってしまうし、やがては、環境は変化する。ある時点で比較すれば、そのすり減り方には、大して差は見られないのかもしれない。横たわった四本の棒については、どのようなことになるのだろうか、そして、その中の少し古びて見えるAとBは、どのようなことになるのだろうか。常に、その一点において、交差している。様々な方向を向く座標軸、そして、その座標軸によって、形成される平面。その一点には、Aが在り、Bが在り、全てが在る。いかにして。

ベランダから外を眺める。さわさわと、風が心地よくAとBの間をすり抜ける。この程度の風はちょうどいい。
二本の棒として海の中へ。この前は何時だったろうか。目の前にしながら、素通りしてばかりであった。四本の時は、しばしばこうやって浸かっていたような気がする。波が砂浜を駆け上がる。必死に逃げるけれど捕まって、靴はびしょ濡れになる。サンダルにしておけば良かったのに。そして、波が引き始めると今度は追いかけてみる。すると、また、追いかけられる番になる。定期的な音が押し寄せ、引いていく。その周りに嬌声が入り交じる。青い空、真っ白に輝く太陽、まぶしさに手をかざす。くっきりと映る影を見て、安心する。足がつくところまで。波が覆い被さろうとするのにあわせて飛び上がる。塩っ気が口の中に広がる。抱きかかえていてあげよう、何も心配することはない、浮いているよ、ちゃんと浮いているよ。Bが向こうから、こちらを眺めている、大きな傘の下で。思い切って手を振ってみる。手に抱えた子も一緒に手を振る。一体誰のために何の目的で手など振るのか。しかし、行為に深い意味を持たせる必要がないことほど、平穏なことはない。ただ、第二層目の感情では、やはり違和感を感じる。疲れが、じっとりと体を重くする。傘の下で四本の棒になる。棒から出た細い枝が、互いにぶつかり合う。こんな光景を切り取って、少しだけ画像補整して幾重にも貼り付けたら、すると、行楽シーズンを告げる新聞記事が出来上がるということなのだろう。Aは、四本の棒が共に感じていたまどろみの中で、一人そのような想像に耽り、そっと涙を飲み込む。
海の中で、枝が交錯する二本の棒。今は、そう在る。見分けがつきにくくなったAとBがそこに在るのか。ただ、何時までも、やはりAとBであることには変わりはない。
この波だと、あの断崖絶壁に襲いかかり、少しずつ浸食し続けるのは。嵐の夜に、恐ろしい轟音を立てているのは。そして、ときに平穏な浜辺に騒動がわき起こる。何かが起こってしまったのだ。AとBはときに何かを目撃し、ときに見過ごした。そんなこと、どんなことにもほとんど共通のことじゃないと、笑って、海に入ることが出来る時もあれば、何時何が起こるかしれないと、怯えて、海を避けることもある。そうして、時はAとBの平面を過ぎていく。

小さくしぼんだB。それは、形状が分からないほどにしわがれて、小さく、ひたすらに小さく。弾むように街の中を闊歩した時もある。裏返しになったかと思うと、その次の瞬間には、表向きにもなる。だから、Bは漂うしかなかったのだろうか。気体の、もしくは液体の流れが在る、渦が在る。
Aはその時、そのBを纏ってみた。その間、Bは木陰で、ひっそりと休んでいた。勿論、その時のBはもうしぼんではいない。しっかりと、影にも立体感が表れるほどにBであった。しかし、痕跡は残るもの。時には、脱いでしまった方がいい。そして、変わりにAがそれを纏ってみた。それを纏ったまま、Aは、BをかぶったA は、街を歩いた。歩く度に、またずれのように形状の合わないAとBがこすれあい、何かが削れとられてしまい、そこに炎症が残るかのようでもあった。夏だった。雲一つない天気。木陰に残した、纏を脱いだBのことを気に掛けながら、Aは汗だくになって歩いた。修行僧を思う。それは何故に。長い階段にたどり着いた。コンクリートが暑く反射している。再び汗がどっと流れ始め、舌が口の中にへばりつく。一段一段と登るごとに、体中が熱を発し始めているのを感じる。Aは深く息をついて立ち止まった。下を見ても、上を見てもぞっとした。乾ききった側溝の映像が、Aの喉の乾きを倍加させる。再び進む。汗まみれで。そして、汗も流れなくなり、やがて、震えを感じるような火照った寒さが訪れる。何故、このようなBを纏って、ここにいるのか。堅い堅い土を耕す時の記憶が重なってくる。それは一体どのような結果を迎えるというのか。あの暑さとこの暑さ。あの消耗とこの消耗。
Bは震えていた。その暑さの中だというのに震えていた。BがBを纏わないままでいれば、一体何になるのか。しぼんでいた時のBよりもさらに小さくしぼんだ。木陰のさらにその根本の草むらの一番の陰に隠れた。土は湿り気を帯び、とても冷たかった。涼しくはない。ただ、寒い。笑顔を作ると、火照っているような気がした。本当は草むらは大好きだったのに。はしゃぎ回ると、蝶が飛んでいる。すると、蝶を追いかける。何かにつまずいて転ぶと、膝から血が出ていた。悲しくてしゃがみ込んだ。誰かこないかしら。でも、誰かといっても誰でもいいわけではない。
何故町の中を歩いたのかと問われれば、おそらくBを纏ったAには答える術がなかっただろう。何か買い物にでも行く必要があったわけでもない。何一つ用事はなかった。その証拠に、汗も出なくなり、体中が痙攣しそうになりながら纏を脱いだBのいる木陰に戻り着いた時には、体力と水分を失った以外に、Aは明らかな何かを手にしていたわけではなかった。
「帰ってきたよ。疲れた、暑い。声も出ないぐらいだ。なぁ、どこにいるんだ。」
ひりひりとする喉からからからと声がこぼれ落ちる。目はくらくらとして、焦点が定まらない。それに炎天下の反射に晒された目では、暗がりを正確に判断することが出来ない。AはBを見いだせないでしばらくいた。
「ここだわ。」
Aの声が聞こえてから、しばらく間をおいてから、Bは小さな声で答えた。とても寒かったけれど、張り切って飛びついていく気にはなれなかった。何故なのだろうか。このままでもいいと思った。だけど、このままだとBでは最早ない。意味の分からぬ時間が、AとBの間に流れた。Aが突然に倒れた。Bも少しよろめいた。その瞬間にAとBは再会した。Aは急いで、纏っていたBを脱いで、Bに渡した。風が直接にAに触れてくる。心地よい。Bは急いで、再びBになった。やけどするかと思うぐらい熱く、そして、じっとりと湿っていて重かった。温度の流れが出来て、冷えたBの体が、本当に火照り始める。だけど、着心地がなんだか少し違う。前みたいじゃない。何か変な感じがする。BなのにBではないかのようで、でもやっぱりBだ、影を見れば分かる。しかし、心地よいというべきなのか、気持ちが悪いというべきなのか分からなかった。Aは、少し離れた所に在った水道の蛇口の下に頭をほり込んで、水を浴びている。そして、時々口の中に水を注ぎ込む。待ちわびていたかのようにまた、汗が噴き出し始める。Aの表面を流れていく汗の滑りが、とてもなめらかだった。犬のように、Aは体をぶるると震わせた。暑くて溜まらないと感じていた間中、寒くてしょうがないと感じていた間中、表面同士がずっとこすれあっていた。
Aという造形がそこに残った。Bという造形がそこに残った。

歩いていると、知らぬ間に何かの溝にはまった右足。それに気づかずに歩いていこうとする左足のおかげで、右の足首がきしむ。その悲鳴がやっと伝わって、左足が振り返ると、窪みに隠れた右足の足首から下が見えない。あわてて駆け寄って、覗き込んで漸くにその右足の事実を確かめた。そして、何とかしてその右足を引っこ抜こうとするのだが、無理をすればするほど、右足に痛みが走るばかりで、どうにもならない。はて、どうしたものだろうかと思案するのだが、良い案が浮かばずに、結局丸三日もそのままに立ちつくした末に、へとへとになって腰を落とした。その途端に世界は反転して、暗闇が明るみに変わり、枯れ木がしげしげと葉を讃えていた。なんということだと、舌打ちをする音が方々から聞こえてきたけれど、所詮反転しただけであるからだろうか、すぐにそれも止んで、やがて愚痴をこぼしながら蠢く人の気配に変わった。反転したところで、やはり右足は窪みの中にいるまま。というよりは、右足だけが窪みの外にいると表現すべきなのだろうか。左足はその右足に苛立ちを覚えだしたのだが、状況は意外に複雑で、もしかしたら自分が怒られるべきなのではないかと思い、出しかけた声を引っ込めた。それからは、右足と左足の互いに探り合うような沈黙が続いた。その沈黙のままに二ヶ月の日々が過ぎた。そもそも我々は同じ股間から伸びているのだろうかと、そんなことが不安になり始めた。もしかすると、互いに気を遣わずとも離ればなれに進んでいけるものなのかもしれない。ただ、落とした腰だけが邪魔だった。それ故にやはり同じ股間を信じなければならないような気がした。
それは、Aの右足なのだろうか。それは、Bの左足なのだろうか。それとも、それらの逆だろうか。であるのなら、痛みは伝わるはずもなければ、そのいずれかが窪みにはまったという事実によって、いずれかが進むことが出来なくなってしまうようなことも、物理的にはないことになる。
それは、Aの右足であり左足であるのだろうか。それとも、Bの右足であり左足であるのだろうか。いや、ここまでくると明確になるのは、AとBを併記する必要などどこにもないということである。いずれ、それはCでもいいような事実である。
そもそも足はどこを向いて歩いていたのだろうか。そしてどこでその足が窪みにはまりもつれたのだろうか。足は地面の上しか進めない。障害物にも容易に阻まれれば、深すぎる水溜まりを越えることも出来ない。二本であったのか、一本でしかなかったのか。いつから一本になって、そしていつから気を遣うもう一方の足を手に入れたのか。そして、それは何のために。元在った二本は、どこで一本になり、そして今やもう二本に戻ることは出来ないというのだろうか。次元を変えてご覧なさい、やはりあなたの足は二本です。次元を変えてご覧なさい。落とした腰はつながってもいればつながってもいないのです。だから、いくら辿っても股間には到達出来ないのです、だけども、そこにはやはり二本の足を持つ股間が在って、特にそれらは複雑な絡み合いの中に四本で二本に見えたり、全く別々の三本であったり。
右と左で、歩幅が同じだろうか。そもそも長さだって。対称という幻。だから窪みに落ちたのかもしれない。どんな足だって窪みに落ちうるし、歩いたそのほとんどが窪みであったという足だってあるだろう。
漸く腰が上げられると、世界はまた複雑に寝返りを打って、真実が嘘に変わり、嘘はでもやはり嘘のままでもあったり、それでは一体嘘でない何かとはなんて、夕陽に埋もれた渡り鳥のしっぽを追って逃げてしまったのかもしれない。漸く息をついた右足と左足は、それでも牽制しあいながら、片やはまったような振りをしながら、そう、実のところ抜こうと思えば抜けるという可能性を自ら打ち消し、片や気を遣うような振りをしながら。それでも、互いに少しずつ距離を取ろうとすると、股間に痛みが走るような気がして、うまくはいかない。それではと、近づいてみると、そのはまったという事実が実に滑稽で愚かしく思われて、歩ききれない足を罵りたくなってしまう左足は、また違う方を向こうとする。案外容易に違いないというその憶測が、不信感に変わってしまうこともある。いずれどうなのだ、互いの股間がつながっているかなんて重要ではない。いずれどこかから見ればつながっているのであれば、つながりうるのであれば、後はその足の裏に溜まった痕跡と、そしてそこから向かおうとする親指のうなり具合の調子の具合だけが重要なのである。とすれば、このはまった右足はどう判断されるのであろうか。しかし、それにしたところで、左足が何らかの手段によって、判断すれば良いだけのことである。
第3章 ある歪んだ直線

固まりになって、割れた。膿がどろどろとあふれ出す。触れると、しびれが表皮を何周も駆けめぐる。そのしびれに耐えきれず、祈ることにした。全てはAのためである。そこにもたれかかっている限り、このしびれも紛らわすことが出来るはずだ。それは、万能薬。折れた骨もくっつけば、病原菌も蹴散らせてしまう。それは、正に万能薬。祈ることが、信じることが、薬剤であり、それをいかに行うかが処方箋。川の流れが急すぎたのだろうか、それとも、あまりにもごつごつとした岩肌の所為だろうか。痛み、変形し、そして、瞬間的に強く凝結のエネルギーを発した後に、ついには割れた。必死にかけらを集めた、そのしびれに耐えながら。それでもなお、引きちぎられてしまいそうな何かの力を感じ続けていた。捕まろうとしたのか、束になろうとしたのか。
柔らかな風の吹く丘。芝生に覆われた暖かな大地。その安堵と昂揚。寝そべると、雲がAの形をしている。ここで、ずっと眠れるだろうか。あのAは、風にあおられてもなお、その形を保持出来るのだろうか。そのためには、Aは何をなすべきなのだろうか。いつしか、しびれを忘れる。膿のように流れ出る濃い血は、昂揚した脈動による圧の上昇によって、何事もなかったかのようだ。いや、全てから解放されたのだと、ついに解放の時なのだと。家族連れが、隣ではしゃぎながら、弁当を食べている。サッカーボールがあちこちで飛び跳ねている。鳥が飛び、さえずりが静かに風に乗る。これなのか。しびれがかゆみに変わり、これはかさぶたの兆候ではないのか。白血球よ増殖せよ。これが私の肉体だ。しかし、よく見れば良かったのだ。そして、水面について、もっとしっかりと捉えておくべきだったのだ。重力と浮力の関係について。私が押しのけた体積。頭から地面に突き刺さって、足だけが地表面から、この爽やかで暖かそうな地表面から、つきだしたその光景。飛び込み間違えたのか、それとも。太陽は照らし、影を作る。全ては物理則に従うべきなのだから、物理則に従わない光景は、物理則に従えない理由がある。いつの間にか、拡散していた自らを、Aは必死に吸い込んだ。息苦しくなる感情をたたきつぶした。逃げさせてはいけない。そして、無理からに首をねじ曲げて、Bへと向けた。そうするより他なかった。溜まっていたしびれが、当初の何倍もの速度で表皮を駆けめぐっている。二本の手の動きでは、十本の指の動きでは、押さえ込みきれはしない。それでも、Bを目指した。疑いだけがそこにあるのは知っていたのに。飛沫がかかるのを感じた。これだったのだと。

木の陰が至る所に落ちる昼下がりに、雲の影がAの心に襲いかかった。しびれがAの表面を走り、隙があれば内側にまで入り込もうとする。Aはその雲をむさぼるように頬張りながら、心を守り尽くそうとしている。木の陰に吹いていた冷たい風は、至る所で渦になって、綿菓子のように雲を創造する。Aは涙を拭くことも忘れて、その綿菓子のような雲を頬張り続ける。全てが放屁に還元されても、腹部が破裂しそうになっても、そうしなければやっていられないから。雲がおなかの中に溜まり込み、圧縮されて、やがて雨を降らすようになると、木陰が恋しくなって、その木陰に戻り、雲から逃れようとする。しかし、体の中は、最早土砂降りの雨のためにぐちゃぐちゃで、そのままAはそこに溺れてしまいそうになる。だから、Aは、船を飲み込んで、避難することを考えた。手頃なのが、すぐ横の湖に浮かんでいたので、Aは迷いなく飲み込んだ。ただ、避難すべき先がAには見あたらなかった。Aの中からAはどこに避難するのか。しかし、体内ではどんどんと水位は上昇していく。放尿によって、排出してもとても間に合わない。少しばかり泣いたところで、そんな平凡なカタルシスでは、逃げ切ることも出来ない。これはとても切実な問題で、まず、何故雲など飲み込んだのだろうかと、Aは今更ながらに嘆く。それから、何故、追い出されるのがAであるのかと、それは追い出されるべき対象が他にないからなのだろうか。そう考えていると不思議なことに新たな対策がAの頭の中に浮かんできた。潜水服とアクアラングを飲み込めば、それで良いのだと。それで、Aは急いでそれらを飲み込んだ。その飲み込まれたそれらを身に付けて、AはAの中の深い所まで潜っていく。生き生きとし始める。息も出来るし、どこかへ逃げ込む必要もない。ただ不安なのは、酸素がいつまで続くのかということだけ。Aは、Aの中を自由に泳ぎ回る。浮力のもたらしたものには、意外に良いものもあって、今まではたどり着くことの出来なかった領域にまでもAを運んでいってくれる。Aは、Aのいろいろなものを見つけた。子供の頃から何故か隠し持っていたろうそくだとか、いつの間にか紛れ込んでいた随分と昔の手紙だとか。川底に転がっているような小石が今になって再び水の恩恵を受けて輝き始めているような気がする。所々水の濁りがとてもひどく、足をついてみると、ヘドロが巻き上がったりもする。黄色い光が見えたり、どこからともなくあぶくが上がっていたり、そこはそこだけでも十分にいろいろなものがある世界なのかもしれない。Aが日頃見落としていたものが、こんな不思議な洪水の合間には見ることも出来るのかと。しかし、もうそろそろ酸素が切れそうだ。もう一度、アクアラングを飲み込んでみようかとも思った。しかし、深く潜りすぎたAの居場所がいつの間にかわからなくなってしまっていた。やがて、飲み込んだ雲も全て雨に変わってしまったからなのか。Aの体内で降っていた雨は止んで、少しずつ水が退き始めてきた。酸素の量と、そして今どこにいるのかそれだけが、この時点での大きな問題。木漏れ日がAの目に突き刺さってきた。すると、遠く先まで見えてくるような気がする。勿論それは全く意味のない、根拠もない、いわば誤魔化しの希望、つまりただの感傷でしかないのは痛いほど理解出来る事実である。しかし、感傷すら味わえない状況というのも、いいのやら悪いのやらと、Aは消極的に納得する。Aは突然に大きく口を開けて、木漏れ日を飲み込んだ。Aの中のAを、捜し出さなければならない。潜り込んだAを解放して、そして、雨のもたらした豊穣な大地に新たな実りを期待すべきではないかと。少しずつ退き始めた水が、渦を巻きながら、あらゆる所に吸い込まれていく。口から忍び込んだ木漏れ日が、ときに回折し、ときに乱反射しながら、奥の奥まで届き始める。最早酸素の切れたアクアラングを背負ったAが、そこのどこかで、しっかりと何かを手に掴もうとしている様子が、映写のごとくにAの口から外に飛び出して、Aの見上げているこの木の葉の裏に映し出されているのをAは見つけた。最後に深い深呼吸をすると、その口を閉じた。AとAとAは、何かをなさんとするのだろうか。最後に小さくげっぷをすると、飲み込んでいた船と潜水服とアクアラングが出てきた。少々、水にあらわれすぎたAの内蔵は、しばらくの間はひりひりとうずくだろうが、それはそれでやむを得ない。常に物事がAを避けているわけでもなく、そうであるからこそ、Aの存在の確認が取れるのだろうから。いくつもある木陰のどこを選ぼうかと、ふと思案する。土の地面はAの足の裏に心地よい感覚を味合わせてくれる。これは、きっと、Aの過剰な幻想が持ち出したものに違いない。ときに、地面は固く何も実りを感じさせない場合もある。存在する。過剰な幻想は大きな失望に変わり、ねじれた混乱の中に、空と雲と地面の位置関係を狂わせて、その狂った位置関係の中にAが放り出されることもあり、A自身がその狂った空間を導き出してしまうこともある。しかし、それでもなお、太陽は昇るのかもしれないし、昇らなくても、せめて、もたれることの出来る小さな樹木は在るかもしれない。それが、一瞬の後にはビルとアスファルトの構築物に変わるとしても、心に抱く何かが在るのではと。試しにビルの壁にぶら下がってみると良い。それとも、試しにアスファルトの下に潜ってみると良い。その創造者の一員でありながら、その辺りにある風景など一向に構ったことはないのではなかろうか。であるなら、たまにはその一度たりとも関わったことのない視点を思い描けば、激しい吐き気は消え去るのではないかと。ビルの角にAは立っていた。Aには、その直角が背中をずっと脅かされているかのようにも感じられた、それと同時に背後を何かに守られているかのようにも感じられた。そこに、大きな雲がやってきて、影を作り出した。雨が降るのではと思ったが、それはやがて過ぎ去り、また日が照っていた。Aは冷や汗と、そして暑さのために噴き出した汗を両方首筋に感じながら、自らの過ちについて反省する。そして、そっと、先ほど吐き出した船と潜水服とアクアラングを手の中に握りしめてつぶすと、そのビルの角に塗りつけた。ときにビルの壁はそのようにして分厚くなっていくのかもしれない。

AとBは勿論存在する。このしびれと同様に。しかし、AにとってのAはBでもあるし、このしびれを感じている物体こそがBでもあり得る。それと同様に、その逆も、またその複雑な合成も、加減乗除、微分積分、全てが成り立つ。その基本的な法則をしっかりと証明出来るのであれば。だから、素因数分解だって出来るし、共通項の概念だって通用する。それ故に時に、微小項は、近似として無視されもするし、しかし、よくよく分析すると、その微小項が大きな意味を持っている場合だってある。だから、ときに、AとBだけではなく、別の変数が必要にもなる。

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