その場所
そこに行く、連れだって、Aが率先して。それが、確かに、そうであったのかもしれない、今になって思えば。だけれども、それが、Bにとって、受け入れられる物であったかどうかというと、それはまた、別の話になる。それが、Aにとって、確かに、そうであったのかもしれないと思うと、涙ぐみそうになる。だけれども、やはり、それが、Bにとって、受け入れられる物であったかどうか。
完璧ではない記録、巻物のような物に記録されたそれを、巻きほどいて、そして、遡ってみる。今更何のために、強く意図したわけではないけれども、例えば、ちょっとした暗がりの街角を曲がろうとした瞬間に、そんなことをしたくなるような感覚に支配されることは、無いことではないだろう。
そこに、何を見いだすのだろうか。そこには、何が充満しているのだろうか。それは、その瞬間まで、堅く閉ざされた物であっただろうか、それとも、いつでも、開かれ得る物であったのだろうか。
Aにとってのその場所。Bにとってのその場所。それぞれにとってのその場所は、異なる場所であって。Aはそこに何かを求め、そして、何かを見いだして、だけれども、Bはそこには何も求めず、そして、何も感じることはなく。そして、その逆もしかり。全てが、そのような物に過ぎないと、では、BはそのAのその場所を寛容できるだろうか、AはそのBのその場所を寛容できるだろうか。確かに、はなはだ疑問かもしれない。
知らず知らずのうちに、巻物のような物に記録されている何かの影響を受けて、その場所は形成されて、だからそれは、もしかすると、それぞれの胸の内にそっとしまったまま、共有可能な何かであると期待しないままに保管しておくべき事なのかもしれない。だけれども、何故か愚かにも、そう求めてしまうときがあることは、否定できない。
Aのその場所に、Bはそれでも、ついて行ってみる。無関心によって、違和感を乗り越えて、そして、受容することが出来るような気がしてくる、例え、共感などはなかったとしても。Aがそこに見ているだろう光景を、Bが別のその場所に見るであろう光景と比較してみる。確かに、理解することは困難だけれども、全くわからないわけではない。Aにはそういうところがある。Bにはそういうところがある。
Aが静かに涙をこぼす。驚いて、Bは静止する。Aは、遠くを眺めて、そっと、誤魔化す。説明したところで、どうとなるわけではないし、説明できる物ではないことは十分にわかっている。Bも、また、遠くを眺めて、そっと、誤魔化す。そうする、Bの姿を感じて、Aの感情が和んでくる。そんなAの姿が、確かに、何一つとして理解は出来ないのだけれども、世の中にはそういった感情もある物かもしれないと、そして、そういった感情を持っていることも、悪いことではないと、そう受け止めてみる。
Aにとって、物足りない何か、Bにとって、物足りない何か。それらが、常に崩れ落ちそうになりながら、ほんの小さなひとときだけ、しがみつきあう。そうしながら、どこまでも続く物なのだろうか。

