履歴
Aが静止した場所。前を向く、後ろを向く。そのどちらにも、まだある程度の空間が残っている。もう終わるかもしれないけれども、まだ終わらない可能性の方が高い。もう始まってからそれなりの時間が過ぎ去って、記録された物もあれば、消し去られた物もある。
そのまま、走り抜けてしまうには少々遠すぎて、ゆるりと進むには、やはり、少々遠すぎて。だけれども、それほど静止している時間があるわけでもなく、やがて、また、追い立てられる。そして、思っている以上に履歴に苛まれる。
少しずつ構築する物だと思っていた、Aは。少し先の事を考えて、さらにもう少し先の事も多少は考えて。少しずつ進んでいって、少しずつ積み上げていって。するとそこには、やがて何かができあがるから、その上で、さらにまた、なんとすばらしい進化なのかと。しかし、ただ、平面を、いや凹凸に満ちた地面の上をはいずり回っているだけのようで、そして、そこに現れる地形を何とかやり過ごして。
むしろ、履歴を大きく肯定すべきで、むしろ、だから履歴を否定したときには、少しずつ構築するという概念も消失してしまって。そして、はいずり回るように、ただ、時間に追い立てられて。静止した場所には、前後がつまり、無くて、履歴に苛まれないものとして、履歴に苛まれる。何処に向かうのか。それとも引きずろうとする履歴が重すぎるとでもいうのか。
例えば、目の前で突然全てが消失してしまっても、何も惜しむ事はないかもしれない。履歴が無ければ。履歴が未来を要求して、そして保証するのであれば、Aは茫然自失するしかない。そして、架空の物を構築しはじめる。いや、Aの履歴を探ったときに、そこには、架空の物としか言いようのないものしか無かったというべきなのかもしれない。今にも崩れ落ちそうな、その架空の物が、しかし、反転する事はあるのだろうか。Aはそれが、反転するかもしれないと信じているのだろうか。
全てが消え去ってしまっているようにさえ思う。この空間は、Aにとって。いや、純粋にAにとっては、まだ消え去っていない空間である事をなんとか保持しているのかもしれない。しかし、Aという軸を取り去ったときに、相対空間にそれが投げ出されたならば、それでもなお、そこにその空間が存在する事はないだろうと、そう、Aは認識している。あきらめたわけでもなく、ただ、それが、現実なのであると。だから、架空の空間を、全て消え去ってしまっているかもしれない架空の空間を、彷徨いそして、架空の物を構築する。だから、決して反転する事など信じてもいなければ期待もしていないのだろう。ただ、そのような空間の存在の痕跡だけでも残す事は出来ないだろうかと、そのしたたかな野心だけがしがみついているようでもある。
それとも、必死にたぐり寄せるのか、それとも、必死に言い訳を考えるのか。静止した場所は、自らが動く事でしか、再始動しない。静止しない空間に存在することが出来なかったならば、そうするしかない。起伏が激しく、のっぺりとした平面。どこにも、強制する物はなくて、何処にも、必然性もなくて。だから、手探りで、破滅を探す。終わりを探す。静止した場所を引きずって、架空の空間に架空の物を構築するA。その額に浮かぶ汗も、その涙も、その表情も、その脳も、全ては意味を失った偶然性の反応にすぎない物と判別されて。そして、AはAを批評し、AはAを否定し、AはAのしっぽを追いかけ回すことしかできない。Aは何を信じているのだろうか。

