色あせた街
色あせていく。あっという間に、色づけしたはずの世界が、色づいて行っているはずの世界が。色あせていく、しっかりと注意を払っていなかった視界の端の方から順番に。白黒で、焦点さえもぼやけてしまっているようで。いくら色づけても。
そのように振る舞っている。違和感なく、振る舞えているようにも感じている。だけれども、やはり、そうでもないのかもしれない、私ではない世界。そして、それを必死に塗り絵しているだけなのであれば。振る舞いが行き届かない端の方からすぐに、色あせて行ってしまっても、おかしくないのか。
しかし、だとしたら、色のない世界が、私の落ち着く場所であるのかと、そうでもない。いや、どうなのだろうか、色が、色とは、同じように塗られていく世界なのに、しかし、その色が、私の色ではないということであって。この色を、私は、何故、塗り続けているのかとそう、疑問に感じているからこそ。この色とその色は、実際、そう大差ないように感じる。だけれども、そこに存在する違和感が、実のところ、大きな差異なのかもしれない。
色あせていく。だから、何度でも塗り直す。追いつき切れそうにないと感じながらも、色あせ始めている場所が、あちこちにあることがわかっていてもなお、いやわかっているからこそなお、また、塗り続ける。そのことの意味とは。そのことこそが、むしろ、生きていると言うことだと、無理矢理に納得させるしか無く。
そして、私の色も、いつしか消え去ってしまうのか。それが、どのような色だったのかもわからないほどに。いや、わかるのはわかっている。そっと、誰にも見つからない場所で、それらの色は、きれいに広がっている。だから、それで、十分なんだ、だから、ここには、この色を塗り続ける、すぐに色あせてしまうものだとわかっていながらも。
だから、それ以上、問い詰めないで、大目に見て欲しい、色彩が、多少不十分であることぐらい。私には、これが精一杯なのだし、その精一杯を、可能なことなら理解して欲しいと思う。この先、いつまで続けることが出来るのかは、わからないのだけれども、しかし、可能な限りは続けていくつもりだし、故意に止めようとは思ってはいない。
色あせていくその風景に、寂しさを感じている、自分でさえも。偽りが常に暴かれてしまっているようであるという罪悪も含まれて、そして、純粋にその色あせた姿が与える心象にも追い詰められている。だけれども、その色づいている場所が、なんとか、色あせずに色づいている場所がそこにはあると言うことは、その色が私の色ではないことがわかっていてもなお、喜びの感情を喚起することにはつながっているのだから。
そして、私は、平然と笑顔を振りまく。その画面のなかの実際の色彩にはなにも違和感が無いようなふりをして。そのようにして、私は、ここに存在する。そのようにして、私はここに存在することに決めたのだから。それが、他者に対してどうであるのかなど、どうでもいいこと。私が、この場所に存在するために、選択した存在の仕方がそれであるのだから。だから、その色あせた風景にも耐えていくことが出来るだろう、そして、その色あせを最小限にとどめるために、自分のものではない色を塗り続けることにも耐えていくことが出来るだろう。そして、それが、私であるのだから。

