心象風景
刺激を足す、あと少し、もう少し。小さな小屋の中に隠れて。しかし、隠れなければら無いほどのことをしでかしているわけではない。ただ、そこにそうしていたいが為に。
少しでも、刺激が増すように。少しでも今までにはない感覚を得ることが出来るように。しかし、これも、いつまでも効くだろうか。すぐにでも、いや、もしかするとその行為の最中に出さえもう、刺激は消尽しきってしまっているのかもしれない。それでも、刺激を味わおうと試みる。そのために、すこしばかりの評論を加えて、そして、その評論もろともむさぼり食うように、味わう、刺激を。
それとも、これが装っているだけに過ぎないと、もしかすると、裏切り行為に近いのかもしれないと、そうだろうか、むしろこうやって努めて装っていることにこそ誠実さが込められているのだと思うのだけれども。
やはり、足りない、刺激が、徐々にその効果が薄れてくる、何かさらに、むしろ、裏切りに近いほどのことにこそ、刺激があるのかもしれない、やげて、それにさえも刺激の限界を感じ始めるのだろうけれども。
思ったほどではないと、想像が行き過ぎているから。冷静になる。想像が大きく行き過ぎているというよりも、欲求が、不足に起因する欲求があまりにも大きすぎているのかもしれない。だけれども、だからどうしろというのか。
刺激を求める。容易には消えないほどの刺激が無いだろうかと。もしくは、そのあといちょっとで刺激がくるかもしれないというその直前の感覚を探し求める。いや、どの瞬間だろうか、冷静さと夢中の狭間で、夢中になりすぎてあっという間に過ぎ去ってしまわないように、しかし、あまりにも冷静すぎて何も感じることが出来ないことが無いように。
暗中模索をしているときは、どこかに確固たる足がかりが見いだされることを強く望み、一方で、先行きが見えすぎるときは、何も予想が出来ないことを望む。むしろ、思っていた以上に満たされてしまったのだろうか。過剰な刺激を求めてしまうほどに満たされてしまったのだろうか。なのに、何故、一向にこの箱はいっぱいにまで埋まってくれないのか。どこからか、漏れ続けているのか、それとも、箱がどこまでも膨張して行っているのか。 小屋を後にする。やはり、満たされたという感覚は全く感じない。何とも言えない、後ろめたさなのだろうか。満タン過ぎるとこぼれることを進歩意思無ければならなくなるからなのか。
ここまで来たのに、それだけに過ぎなかった。そう、その瞬間だけが、満たされていると言うよりも、忘却の中にある時間となるだけであって、またこの時間に戻ってくると、その消していた時間分が余計にのしかかってくると。
いつまでも、これが続くのかと思うと。この、手がかりの無い時間の中をさまよい続けるのかと思うと。何か、別の手段によって、何か手がかりのようなものを見いださなければならないのか。
この気分に合わせて、夕焼けが見えていることにデモしようか。広く開けた空の裾野が真っ赤に染まる夕方。私は、一人その夕焼けにまっすぐ歩いて行く。涙がほほを伝うのだけれども、一向に悲しくはない。うつむいて、ゆっくりとぼとぼと歩くのだけれども、一向に疲れてなどいない。これが、だから、そんな夕方である必要もないほどに、心象は摩滅していて、風景の重なり合うことが出来なくなっている。

