困惑する感情
「それでも愛していると言ってみた。」「誰のことをですかと。」何故逆接なのか。しかも、語尾にまやかしが入るのか。そして、その返答の他人事の様子の示す意味とは。「愛しているわけではないけれども。それしか選択肢がないから。恩がある。いや、それだけではない。」「何故今になって。」「つまりは、利己的な問題だからです。例えば、自分の方に被害が及ばないようにするためには、あえてその悲劇に突っ込んでいく方が適切な判断という場合もある。」「今日は、暖かい。恐ろしいほど暖かい。でも、夜になると、やっぱり寒い。」「それとも、私自身も判断力を失いつつあるのかもしれない。何が真実なのか。つまり、自分にとって利益のあることを選択するのがもっとも正しい選択ではないのか。例えば、全てを無視して、どうせ関係ないことと、それよりも、自分はただこうしたいだけだからと。」話がそれていくのは、そもそも、考えがまとまっていないからなのか。どうしていいかわからないからだけなのか。何かにとりつかれているようで、ただ、重く疲労にのしかかられて、だけれども、どこにも逃げ道がない。そう感じるときには、横道にそれていけばいいのではないかと。「だけれども、遠ざかっていく。いや、近づいてこないと言うべきかもしれない。そもそも、これは、愛というものではないかもしれない。同情なのか、やはり、恩なのか。それとも、ちょっとした心配事なのか。だけれども、壁の向こう側にいるだけ。」「わからない、何を言っているのか、全くわからない。」「それはそうだと思う、私自身もわかっているわけではないから。全てが、何も気にしなければ、何事でもないことと理解していいことに過ぎないのかもしれない。どうせ、近づいてこないのだから。もしくは、もう手遅れなのか、それとも、そもそもから手段など無かったのか、始まりからすでに終わってしまっていたのかもしれない。」「そこまで思い詰めることはないように思う。もう少し楽に考えれば、とにかく、今は何とかなっているように思うのだけれども。そもそも、あなたが言っている愛とは、一体何なのか。」問答は、続く。終わりはなく、ただ、気持ちを何とか静めるためだけに、だけれども、時にむしろ助長して。そして、心臓が、必要以上に収縮を繰り返す。そして、お互いにエネルギーを浪費した末に、一体、何が解決されるというのだろうか、一体どのような愛が見いだされるというのだろうか。「ここまできたのに。また、戻る。例えば、合図を送り続けたとして、それは、ただ、鬱陶しいものにすぎないのか、それとも、小さなつながりとしての助け船と感じることができるのか。」「とても、難しい質問だと思う。とても難しくて、答えることができない、どのような状況なのかは、はっきりとわからないのだけれども、この場合は、続ける方がいいように思う。でも、それは、一体誰のためなの。」「結局、それも、自分のためなのかもしれない。結局、利己的な目的に過ぎないのかもしれない。すると、これは、ただ、迷惑な話なのだろうか。たとえ、破滅したとしても、それが最善の回答ではないと一体、誰が言えるのか。ただ、火の粉をかぶりたくないだけ。」終わりのない問答が続く。それぞれには、それぞれの方法論がある。たとえ間違っているように思えたとしても、それが、その本人にとっては、最善の回答である可能性は、どのような状況においても、否定することはできない。「だけれども、この社会にあることが要求される。この多数決の原理によって形成された社会の中に。」「不器用にだけれども、なんとか張り付いているともいえるのでは。」ただ、自分のために涙が流れ、一方で、行き場を失う。「愛という言葉がそもそも、とても個人的な言葉過ぎる。」

