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創作テキストを月一回程度の頻度で掲載するサイトです。

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記号である言葉。それらが並べられていくと、そこにはまた違う記号的意味が浮かんでくる。その言語の力を最大限に利用しながら様々な感覚を描写したいと、その試みが生み出した幾ばくかの文章をものをここに提示していければと。月一作程度のペースで、文字数にして1000字程度の短文をベースとして、公開しています。

2010/03/08

平面の矛盾

 そこにある、どこまでも広がる平面。さて、これが正しいのかどうかすら、はっきりとはしない。おそらくは、正しくないのだろうと思う。先にそこにそれが用意されていて、そこに参加しているわけではない。その平面とともに現れたとしか、いいようがないのだろう。現れたというべきなのかどうかすら、はっきとはしない。ただ、いずれにせよ、その平面とともに存在しているという現在は、事実であると断言することは、せめて許され宇野ではないのだろうか。そうであるが故なのか、それとも、そうではないのかもしれないけれども、その平面を見たことのある人は、誰もいない。もう少し正確に表現するのであれば、その平面をその平面の状態で見たことのある人は、誰もいないというべきか。常にゆがんでいる。その鑑賞者によって、それは、ゆがんでいる。鑑賞者には、常に限界がある。全ての範囲に焦点を合わせることはできない。それぞれの鑑賞者の脳は、実際のところ、どこまで認識できているのだろうか。そのいくつかは、脳が作り出した幻影かもしれない、たとえ、全てに焦点を合わせることができていたとしても。しかし、それが、鑑賞者にとっては、唯一のその平面の認識であるのだから。だから、それは、異なる、鑑賞者によって。平面はゆがみ、破れ、ぼやけている。しかし、それであっても、それは、鑑賞者本人にとっては、しっかりとした平面であって、しかし、もしそれが可能であるとして、別の鑑賞者の平面と比較してみれば、その間に大きな差異があることを理解することができるだろう。いや、別に比較するまでもない。少し、話をすれば、すでに、そこに大きな差異があることなど、簡単に認識できるに違いない。もしかすると、大同小異として、許せるかもしれないし、まったくもって受け入れることができないかもしれない。いずれにせよ、しかし、常に、自分の平面が基準になる。その平面の像は、どのようにして形成されたのだろうか。別の個体として、存在するようになった瞬間から、その個体の特質よって、大まかに決定されてしまっており、そして、そこから、また平面の変容が始まる。そう、例え、同じ鑑賞者であったとしても、同じ平面の像を持ち続けるわけではなくて、それは、変化に変化を遂げていく。そして、時に、別の鑑賞者の影響を受けて、そして、時に、別の鑑賞者に影響を与えて、そして、当然のことながら、ただの鑑賞者というだけではなくて、その平面の参加者である以上、その平面自体にも影響を与え続ける。平面は、つまり、果てしない循環参照に晒されていて、常に矛盾を抱え込んでいる。その矛盾の間隙にこそ、存在が存在していて、その矛盾の間隙に猛然と走り込んでいくしかないと。そして、多くの場合、鑑賞者の持つ平面は、その変化について行くことができないために、その平面と軋轢を起こしてしまい、鑑賞者を打ちのめしてしまうときさえあって、そう、時にいくつかの鑑賞者は、その平面とはあまりにも違い過ぎてしまうときがあるが故に。しかし、実のところ、その平面とあまりにも違うということは無いということもまた真であって、つまり、その平面はそこには、最初から用意されているものではないが故に。食い違うように見えながらも、しかし、それもまた、認識に問題に過ぎないのであって、そう、つまり、循環参照にであるのだから。だから、そっとの、その間に粘着質のインターフェイスをそっと挟んでみる。少々の軋轢などは、少々の矛盾の間隙などは、吸収してしまってくれるようなそれを。そして、そうやって、この平面の上に生き残っていくのだと。

2010/02/14

集結した場所

 賑やかさを感じさせるけれども、騒がしすぎるとまでは感じさせない程度の喧噪の中。丸を囲む五つの点。その周囲には、その喧噪を作り出しているいくつもの点が存在していて。この瞬間に、ここにいる。多くの点のなかから、偶然にもそこに居合わせただけという、奇跡でもなければ、運命でもなく、ただ、それぞれの事情によって、そのようになったに過ぎない。そして、その中でも、この五つの点が、そこにあって。言葉を交わす、時には二つの点の間で、時には、三つの点の間で、そこにあり得る順列組み合わせの全ての中から、その瞬間に選択された偶然に過ぎない組み合わせにおいて、そして、それらは時に変化し、次の組み合わせへと移行する。さいころは常に投げられ続けている。次の瞬間の出目を祈るのか、今のこの瞬間の出目を保持し続けることを祈るのか。
 ここにたどり着くまでも、様々な経路があり得たに違いない。自然に導かれてしまった場所もあれば、積極的に選択した場合もあったのかもしれない。どれほどの選択肢があったのかはわからない。結局、何かにそう導かれていたと、そう思い込みたいこともある。それとも、何もないところに道を、自らが切り開いたのだと高らかに叫びたいと思うこともある。
 いくつものカードを持つ五つの点は、そして、また、そのたびごとにカードを切っている。カードを切り続けている。確かに、それは意志によってだろう。ただし、そのカードは、たまたま現在も保持しているというものに過ぎない。もっと、多くのカードを手にすることができたかもしれない。もっと異なるカードを手にすることもできたかもしれない。早く失ってしまいたいカードを手にしてしまっているかもしれない。いずれにせよ、今は、それを手にしている点という存在にしか過ぎない。それを最大限に利用してみようと思う。
 いや、それほど狙い澄ましているわけでもないだろう、それを何となく利用しているに過ぎないというべきかもしれない。例えば、少なくとも、この場所にいるのだから、ある種の目的は、全ての点が共有しているに違いない。この空間に、むしろ心地よさを感じながら、いるのだから。例えば、もうあと少し時間が遅ければ、ここにいる多くの点にとっての適切な場所は、ここではない、それぞれに全くばらばらな場所であろうし、もうあと少し時間が早ければ、もしかするとある程度はそれぞれに共有しているかもしれないここではない別の場所が適切な場所であろう。
 それは、この五つの点にとっても変わりはない。もし、その時間軸をもっと広げてみたら動なのだろうか、前に伸びていく時間。後ろに伸びていく時間。それぞれに、そこに在った場所、そこに、思い描く場所。似て非なる場所。しかし、一方で、ここで会話が成り立つ程度のそれであるということは、そのある程度の共有があるということでもあって。それとも、その共有を探り合っているのだろうか。
 やがて、時間の経過に従って、その五つの点は異なる場所へと向かう。一時的になのか、それとも、永遠になのか。

2010/01/24

一つの呪文

 まっすぐに、重力の方向から軸を外さないようにして、動くときだけ、少し傾いて。だけれども、十分に間に合う速度で。だから、どこにでも行くことができる、そして、どこにでもとどまることができる。全てが、見事に完結している。
 ふと、寄りかかろうとすると。荷崩れを起こしてしまうかもしれない。あまりにも多くのものを抱えているが故に。もし、一度、それらをおろしてしまえば、もう二度と。もしかすると、うまく寄りかかる先があるかもしれない。希望など、信じているのであれば、その希望に、すでに寄りかかっているに決まっている。
 それほど、慎重になる必要などなくなっている、これだけの荷物を保持し続けることには。ときに少しの間だけ、なんらかのやむない事情で、それらをおろしたときに、そして、それを再度担ごうとしたときにだけ、ふらつきを感じる。安定しない数歩を経て、また、もとに戻る。心構えがあれば。
 時に、もう終わりにすることができるのかもしれないと思ってしまうときがある。長い道のりが、もし、そこで終わってしまえば。ことなる道へとつながるジャンクションを見つけたのであれば。突然に、ずっしりと、荷物の重みが増す。たかだか一歩さえも、ふらつきはじめて、体中が震える。さらに荷物の重みが増して、荷崩れの危険性が高まる。必死にこらえる。まだ、今のうちに、まだ、力の残っているうちに、荷物の整理をした方がいいかもしれない。
 ただ、静止する。まっすぐに、重力の方向から軸を外さないようにして、動くときだけ、少しから向いて。だけれども、十分に間に合う速度で。これが全ての言葉。全ての祈りの言葉であり、全ての呪文。
 振動は、どこからでも発生する。その重力を受け止めているはずの地面が、動き出すときもある。何かの引力によって、あるいは磁力によって、何かが励振されて自らが震動源になることもある。いずれにせよ、やっかいだ。その振動が、少しずつ荷物を安定位置からずらし始める。耐え難くなる。がたがたと。がらがらと。
 それとも、荷物が何一つ無いかのように振る舞って、震えていようとも、気にせずに、そのまま寄りかかってしまって。荷物が滑り落ちていくことも気にしないで、そこには、何もないのだから、いずれにせよ、目には見えない、概念にしかすぎないし、精神せかいにしかすぎない。失うわけではない。そもそも、所持していなかったのだから。何を所持しているのか、何を所持していないのか。何故、所持しているのか、それほど貴重なものなのだろうか、失ってしまっても、しかし、失うことすらできないものかもしれない、所持さえしていないものは、失うことができないのであれば。そう、失ってしまえるのであれば、それにこしたことはない。
 心を静める、振動はやがて、減衰していく、もし可能なのであれば、減衰しないままに共存すべきなのかもしれない。まっすぐに、重力の方向から軸を外さないようにして、動くときだけ、少し傾いて。

2009/12/20

平地と崖

 なぜ、この場所にいるのだろうか。そこに広がる世界は、むしろ、否定してきたそれでもあるようで。しかし、そこに存在してみる。確かに、悪くはない。悪くはない。
 何故、このような場所を否定してきたのだろうか。いや、語るほどのことはない。理由なんて、特殊であることはほとんどない。言い訳による装飾が様々な亜種を生み出しているだけで、本来的な理由なんて、限られている。
 風を受けて立つ。あの大広間の中に一緒に隠れていればいいはずなのに。何も信用はしていない、そこには、何も。苦しみが絞り出されてくるだけだ。そこで、何ともいえない風を受けるのであれば、ここで、風を受けている方がいいに決まっていると。
 そこで、ただ生き延びる術を身につける。それとともに、多くの技を手にしながら。少しずつ、すり切れていくことを感じながら、それでもなお、そこにはもう、戻りはしないと誓ったのだから、そこには、もう何も期待しないと誓ったのだから。
 地に墜ちていく。たたきつけられるように、そこから、また這い出す。何度も、何度も。ここに、こんな場所があるのだと、しかし、誰一人気づかない。いや、時に気づく人はいる。しかし、それは同類であるが故に。そして、そこには、いつも薄膜があった。その向こう側には、近くに感じるその薄膜の向こう側には、たどり着くことは、できないと、いつも痛感していた。だから、やはり、風を受けて立つ。
 そして、やっとのことで、たどり着いた気がした。ずっと、崖にへばりつき、崖を登り続けてきた。ようやく、頂上にたどり着いたのかと思ったのだけれども、そこは、ようやく海抜ゼロメートルの位置に過ぎない場所だった。誰もが、ここから始まっていたのだと、広がる平地と時に太陽がゆっくりと照りつけるその時間とが、そこにはあって、ようやく気づく。そう、崖で汚れ傷ついた体にはとても、似つかわしくない光景が、何の不自由もなくそこに横たわっていて。
 風が、いつも受けて立っていた風が凪いでいる。これが、その大広間なのかと。同じ場所の少し離れた場所にあると思い込んでいたのに、そこには、薄膜があるだけだと思い込んでいたのに、しかし、それは、これほどまでにしてなんとかたどり着いた場所にあっただなんて。だから、そこは、いつもすぐにでも届くと思いながら、決して届くことのない場所で。しかし、ようやくにして、たどり着いたのだと。
 つまり、ただ、多くのものを失っていただけだったと。この場所から、始まる人たちもいるのだから、そこに向かって崖を登っている人のことなど、確かに、誰一人気づかないに決まっている、そこを必死に登っている、もしくは、いた、人以外には。
 そして、振る舞う。最初から、この場所にいたのだと。汚れを落として、傷を隠し。いや、何故、そう振る舞うのかと、裏切りではないのかと。かつて、あれほどまでに信頼していなかったそれではないのかと。崖にいるとわからないことはある、平地にいるとわからないことはある。だから、今を必死に生きようと、言い訳じみているかもしれない。しかし、それ以外に方法論を見いだすことができない。

2009/11/15

その、時

 雨の朝は、いつもよりも暖かで、薄暗くて、それ故に、いつもの朝の感覚とは違って、思わず寝坊してしまった。湿度をいつもよりも多く含む空気。それに包まれて、そして、わずかながら異なる臭気をも感じながら、活動を始める。
 支配するように、降り続く雨の様子を窓から眺めて、どうしようかと、悩みながら、外出の準備を始める。むしろ、雨の方が、空いているかもしれないし、多少足下はぬれてしまうだろうけれども、それほど気にすることでもないのではないだろうか。いいわけならいくらでも考えることができる、やめてしまうための。何もしないことほど安全なことは無いようにも感じる、必ずしもそうではないことを経験的に理解しているにも関わらず、そう感じふとそれに従おうとしてしまうが、しかし、やはりその経験が脅迫となって、背中を押し出される。何度味わってもいやな気分がするそれは、変わらないものだ。ただ、何度も味わっていると、少しは長く息を止めることができるようになって、その分、感覚を麻痺させることもできるようにもなる。
 傘の下に隠れて、思ったほどは寒くはないけれども、コートの中で身を縮める。一歩ごとに、ズボンの裾が水分を吸収して、一歩ごとに、そこに近づいていく。しかし、歩き出すと、それほどのことでもないように感じる。少なくとも、このようにすれば何とかなるのだとすれば、それほどの絶望でもないのかもしれない。しかし、かといって、そこに希望があるのかと自問してみても、何も答えは出てこない。もしかすると、一瞬にして、逃げ出してきてしまうかもしれない、いや、逃げ出さないまでも、そこでただ硬直しているだけかもしれない。ここほどに、自由に振る舞うことができるだろうか。
 しかし、何故、むしろ、とどまることができないのだろうか。それは、この落ち着きのない性格故なのか、それとも、常に満たされることのない欲求の為なのだろうか。できれば、そういったことではなくて、例えば、運命とか、そんなもののせいにしたくなる。確かに要因なのだろうけれども、それだけで全てが説明しきれるようには思えないのだから。
 そのまま、そこにある坂道を登っていくだけでたどり着くのであれば、多少の急な坂道ぐらいなら、むしろ、喜んで登っていくだろう。そこで、道が途切れていないということに確信を持てるのであれば。そういった、前兆が全くなくて、別の道へ移らないといけないことを感じる必要がないのであれば。一体、どちらが使い捨てなのだろうか。だけれども、そんなものなのかもしれない。むしろ、まだましなのかもしれない。それとも、考え過ぎなのかもしれない。そこにある、流れに、自然に従っていれば、むしろ、先進的であれるのかもしれない。無い流れなんて作る必要はないのかもしれないし、そもそも、そんなことは不可能なのかもしれないし、そもそも、いずれにせよ、どこかの流れに結局乗るのだから、そう、たいしたことではないのだろう。
 日が照り込む部屋。自然な暖かさが包み込んできて、むしろ、気恥ずかしささえも感じさせるような強い直射日光が支配しているその様子を、窓から眺めて、どうしようかと悩みながら、やはり、また外出の準備を始める。冷静に多くのものを眺めて、そう、可能な限りの状況判断は行ったつもりだし、これ以上躊躇していても、もう、どうにもならないだろうと、あとは、逃げ出そうとする感情を縛り付けて、そして、決断するだけ。

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