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砂の女

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砂の女:目次

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その1

この砂の女の中に描かれているものとは、それは、明らかに、二つの存在の対立であると思う。この二つの存在とは何か。それは、経済的存在と、政治的存在という二つであるといえよう。

ここで、このそれぞれは一体何を示しているのかであるが、まず、経済的存在とは。これは、つまり、生き残り(survive)である。そもそも、生物(もしくは鉱物)である以上その生存(存在)を保持することは絶対的な目的である。そして、その存在の安定のために、それぞれの生物がその生物特有の、行動を起こすわけである。それは、端に生物としてのみならず、進化の課程で、ただの原子が分子的結合し、さらに細胞の形成を至ったというところにもある。これもまた、原子レベルでの存在の安定のための行為ともいえるだろう。そもそも、その駆動機によって、存在があるといえる。そういった背景の元に、人類のその存在の安定のための行為が、現在の経済という形にまで進化したといえる。そもそも、人類にしたところで、農耕もしくは、狩猟を元に生存を確保していた。しかし、底には不安定要素が多くある。農耕の場合には、常に気候が安定しているとは限らないために、不作の時期にはその存在が危機にさらされるし、狩猟にしても、常に獲物を確保できるわけではない。その不安定要素を取り除くために、やがて、貯蔵という概念が出来る。更に、その貯蔵物を中心に物々交換という形での取引が始まる。このことにより、栄養的な安定性も増すことになり、また、役割分担の概念も出来上がる。これが、経済の発端といえるであろう。そして、貨幣文化が出来上がり、経済という形で、それが成長していくことになる。この経済の導入により、人類はかなりその存在の安定性を高めることが出来たといえよう。その経済の導入により、人類は、第一次産業のみならず、第二次、第三次産業によってもその存在を確約することが出来るようになった。つまり、現在社会における経済とは、生物の根元的欲求である生き残りを基本としているものといえる。そのため、ここで、経済的存在とそれを名付け、現代社会に対して、より生き残るという欲求に近い側のものをこのように呼ぶ。例えば、何らかの形でお金を稼いで、生活しなければならないという現実は、この経済的存在のための行為といえる。

一方、政治的存在とは一体どういうことか。これは、恐らく、人類に限った感覚であるだろう。人類は、その存在の安定のために、在る集団を形成するということを行った。集団として行動し、それぞれに作業分担を与えることで、その集団の安定を図ることにより、個の安定性も高めるという行為である。部落や、部族といったものはその原始的なものといえる。つまり、人類は社会を形成することにより、存在を高めているといえる。これは、常に、先ほどの経済的存在の真横もしくは、斜め後ろぐらいに位置するもので、密接に連関している。そのために、この両者の感情による対立が発生するのである。このような組織の形成に当たって、その組織の維持のために、規則が作り上げられる。組織の安定=人間の安定である以上、その組織に所属するものはその規則に従わなければならない。その規則は、時に”慣わし””慣習”というものである場合もあるし、”掟”と呼ばれるものもまたそうである。また、これは社会が形成されたという証でもある。人類は、その経済の導入に当たって、社会の形成も同時に果たさなければならなかった。その時点で、人類の存在は政治とは切り離せなくなったといえる。この社会が更に成熟したものが、政治と呼ばれるものになる(もしくはそれが時に宗教にもなる)。それは、経済の発展と共に、複雑化していく形態をコントロールするものともいえるが、現時点では、最早この経済と政治はかなり絡み合った状態で進化を続けている。それらの役割の意味の際が掴みにくくなるかもしれないが、簡単にいうと、政治とは、どのように存在するかについて言及するものであり、経済のそれは、兎に角存在する、そのことにのみ言及するものである。このように、より思想に近い側のものを政治的存在といえ、それは、経済的存在の追求とは違うベクトルとなる場合がある。ここではその追求に関するものを政治的存在と呼ぶ。例えば、デモなどにより社会に対して行動を起こすことは、その行為自体は、直接的な存在という意味ではマイナスではある、にもかかわらずそのような行動を起こす、これは政治的存在のための行為である。

この二つの存在は、現代において大きな葛藤の原因になるものであろうし、また、これの複雑な面はその絡み合いである。在る断面から見れば、政治的存在のための行動であるはずが、在る断面から見れば経済的存在のための行動にもなる場合だってある。それらのことについては、最早、ここで、単純に議論しても収まらないし、この二つの存在はどちらかに割り切れてしまうようなデジタルなものではなく、常にその二者を何割かずつに分断して持っているのである。それに、何よりもこの二者の対立を見事に描いている安部公房の砂の女について議論するための前段としてこれらの存在について言及しただけであるので、これ以降のこの二者についての議論は、この作品を通してということにしたい。

では、砂の女に戻る。物事を単純化するために、砂の中での生活の所に言及しよう。砂の穴から彼が出ようとする行為もしくは、意志。これは政治的存在によるものだ。勿論、当初、彼がこの穴の家に泊まることになった次の日に単純に彼がこの穴から出ることが出来ると思った段階。ここでは、まだ、存在という強い背景を持った意志ではなかった。しかし、その行為が達成されないものということが明らかになるに従い、この政治的存在意識が強くなる。それは、理屈の構築、ここにいなければならない理由はない、という理屈を構築しようとするその行為がその政治的存在の意識の現れといえる。しかし、その行為はやがて容易には達成することが出来ないものということが明らかになる。更に、このことに起因して、外からの供給を彼は失うことになり、水の渇望、もしくは、砂を掘るという行為を怠ることに寄る住居の崩壊の危機。これらにより、彼は、その彼自身の中にあった政治的存在の意識から、経済的存在の意識へと変貌していくことを強要されることになる。そこには様々な葛藤があるものの、ついには、受け入れることになる。しかし、この時点でもまだ彼は完全に降伏したわけではなく、受け入れながらも、心の底には、まだ政治的存在の追求は捨ててはいないのである。そのことが、その後の彼の脱出につながることになる。この時点で着目すべきは、この経済的存在と政治的存在の葛藤の中で、経済的存在を受け入れながらも、彼の中では、政治的存在の意識がより強くなり、受け入れながらもその感情を持ち続けるという辺りでは、その感情の次数の増加というものがあるということである。このことは、その経済的存在と、政治的存在のどちらがあるべき姿かということを問いただすような二元論をここで追求しているのではなく、その葛藤の中に大きな意味を与えていることになっていることである。そして、彼は脱出を果たす。しかし、またしても失敗し、彼はまた元の状態に戻ることになる。これ以降、彼のその政治的存在の意識は急速に鈍化していくように感じられる。それと共に、彼は様々な物事に、客観的な態度をとっているかのように写る。これと共に、描かれる世界が広がりを見せるのも事実である。はじめは、彼の感情を中心としたものから、この時点では、この村自体の経済的存在のあり方が明らかになる。それと共に、彼がこの時点で受け入れている存在形態がこの村におけるこの穴に存在する人間のあるべき政治的存在に近いものであることもまた読みとれてくる。そのことが、この村の理不尽でもある経済的存在に対しても、また意見を言いきれなくなる彼に現れる。ある意味では、経済的存在を受け入れたことに伴い、政治的存在さえも受け入れることになったことが、共犯者のような存在にまでもなってしまうという状況を描いているともいえるだろう。

そして、彼は、彼の創り上げた罠の中に、そこに小さいながらも自らの経済的存在と政治的存在の充足した結合体を感じようとするのである。

ざっと、見ると、このように私は受け取っている。勿論、この作品の奥深さ故に、まだこの内容では言及し切れていない部分も多くある。例えば、彼のこの砂の中で存在と、ここに到達する以前に在った彼の生活における存在との比較もしくは、言及。その他、まだいろいろあるだろうが、今のところは、ここでとどめておく。今後更に追加していきたいと思う。

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その2

先述では、砂の女の中に有る大きな構造に着眼してみた。ここからは、より詳細な部分へと目を向けて、その中にある何かを覗いてみたい。

砂の女の中に感じるもの。個人の達成と、社会的な存在の意味。これは先に述べた内容を言い換えてみただけであるが、例示しながらより具体的に把握していくことにする。彼は、砂の家に閉じこめられてから、さんざに女をなじる場面がある。こんな事をして何の意味になる、人生の無駄じゃないか。といった風に。一方彼がこの街にたどり着いたその原因として、彼が昆虫を探しに来たという事実がある。しかも、それは新種を見つけて、自分の名前を残すという目的に。これは、個人的な名誉欲として切り取ることも出来よう(勿論、それだけの意味ではない。誰でも、それが直接的な金銭につながらない以上、そのような不確定な達成のみを動機としてのみでは続けられるものではない。ただ、最後の瞬間の動機付けとして、その名誉欲は常に存在する(この私のホームページにしたところで)。)。そんな彼には、砂をひたすらに掻き出すという行為は、何かの欲求を満たすと感じることの出来る行為ではない。砂の女には、しかし、砂のおかげで自分があるという感覚がある。実際、その砂によって、この村の財政が成り立っているという背景もあり、結局のところ、この女だけが犠牲者ではないというこの村独自の社会システムがある。そのそれぞれの動機付けの意味合いが、複雑化する。この対立から、個人の存在、アイデンティティがまな板の上に上げられることになる。

一般化するのは危険なことかもしれないが、恐らく、この作品を最初に読めば、この村に囚われた男の視点から、村の状態を感じ取るという読み方で進んでいくことになるだろう。そしてこの村の理不尽さばかりが目に付く。しかし、それをひっくり返して考えだすと、全てが別の側面を持つことに気づかされる。むしろ、この女の方が社会的なのではないのか、むしろ、この男は非常に利己的な人間ではなかろうか、と。つまり、彼の欲求・価値は、どうせつまらない人生を送るなら、図鑑の中に長く残るものを刻み込みたいという欲求を持つということに象徴される。その行為に社会性はあるだろうか、と。しかし、砂の女の方にも社会性という意味では全うではない。結局その砂は、塩分を含んでるにもかかわらず偽って販売されている、その事実の指摘に対して、どうでもいいことだと切り捨てる(ただ、この行為には故意な感情は薄く、まさに無関心として捉えべきと思う。)。個人の利己、社会組織の利己。その状況下での個人とは一体何なのだろうかと、一体何が社会的なのだろうかと、そもそも社会的であることが、この社会における人間の存在に対して何を意味することなのだろうか。それぞれの立場がそれぞれに基盤を持ち、矛盾を抱えたまま、在る。それ故に、この作品を読むごとに、読者は既存の地面を少しずつ奪われていくことになる。相対空間に浮かぶだけの我々の存在が、社会という重力場に引き寄せられているという現実に対し、その重力場から我々を引き離し、その社会と自己とのもたれ合いに一石を投じる、再考を促す、この作品にはそのような力強さがあるように思う。

更に、この作品の追求はそれだけで終わるほど単純ではない。ここに更に絡んでくる物語として、砂に囚われた男のこの村に来る前の物語、それは多くのページを割いて言及されているものではないが非常に効果的に働いている、である。そこでの描写の中には現実生活への失望を強く感じさせる。いや、失望というよりも、冷たいほどの客観性(例えば、「人生によりどころがあるという教育は疑問」という言葉に代表される)であろうか。その感情の昇華として昆虫採集があり、砂に対する言及がある。この旅にしても、彼自らが指摘するように、期限付きの逃亡であるにもかかわらず、その様をより散漫にすることで、周りの人間には期限付きではないようにほのめかそうとする様子がうかがえる。この村に来る以前の社会は、この村の社会との対立物としての意味をも持とう。そして、その事実が、彼にとって、この村からの脱出の可能性ともなる。しかし、明らかになる事実は、彼は、その以前の社会に対しても、明確な錨を降ろしていなかったというもの、曖昧な期限付きの逃亡が、更にその錨を引き上げたかのような印象を与える。前の社会における彼。そして”おまえ”との、もしくは”メビウスの輪”との会話。精神的強姦者、もしくは、精神的性病患者。論理による薄膜、精神が要求する薄膜。完全には越えきれない人間と人間の壁。半透膜の向こうの社会との煮え切らない対話。一方で、この村の中での、砂の女との肉体的関係。妊娠。あわてて逃げ出す必要はない。「希望」と名付けられた溜水装置。聞き手は村民しかいない。いつしか別の重力場に引きつけられていく。

別に答えなど有るわけはない。ただこの物語には、我々の置かれている立場が、実に客観的にかつ切実に描かれていることが感じられる。

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  • Book Review
  • 密会   (1977) : novel,Book
  • 箱男   (1972) : novel,Book
  • 燃えつきた地図   (1967) : novel,Book
  • 砂の女   (1962) : novel,Book
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