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ヘルマン・ヘッセが晩年に書いた最後の長編小説がこの作品である。ちなみに、ヘッセは後にノーベル文学書を受賞したがこの作品もその受賞に大きく寄与したようである。
ヘルマン・ヘッセというと、これは私自身の勝手な思いこみかもしれないが、少し青臭い感の残る中高生向き小説という印象がある。故に、それほど重視していなかった作家ではあったのだが、ふと書店でこの作品を見つけて、たまにはヘッセでも、という感覚でこの作品を手にした。ところが、どうだろう、実際に読んで見てびっくり、確かに、依然として青臭さを感じるところもあったのだが、その内容の深さ重さ、そして何よりもこの作者の思い入れの強さ、この世界がよりよい状態であればという思いの強さが作品からにじみ出してきていて、衝撃を感じずにはいられなかった(余談だが、10年以上の歳月をかけて完成された作品だそうだ)。作品は、架空の社会に住むヨーゼフ・クネヒトの伝記という形式をとっている。そして、このヨーゼフ・クネヒトはここに描かれている社会の中では、天才的な存在として、エリートコースを辿り社会の中で重要な立場へとどんどん出世していく。簡単に言うと、その出世の過程で様々に出会う状況を如何に彼が過ごしていったかを描きながら、人間の苦悩であるとか社会のもつ特性、そして、その人間と社会の関係性を鋭く抉っていっている作品というところである。また、先ほどエリートコースと記してみたものの、そのエリートコースは政治的なそれではなく、むしろ芸術的なそれである。その芸術的なものをここでは、「ガラス玉演戯」として描いている。このあたりは、社会にある政治性と芸術性(これは、砂の女についてで議論を展開した政治的存在と経済的存在の対立に似た議論になるものである。)との両者の存在の中で、それでもなお、芸術性の力を信じようとする、そして、そこにとどまることなく実践へと結びつけようとするヘッセ自身の強い意志を感じさせられさえもする(このあたりの感情が分かり安ところが、ヘッセが青臭く感じてしまう所以でもあるが)。
正直に言うと、ときにベケットなどの作品は重苦しく直接的には希望を感じることが困難であると思うことが多い。かといって、単純に希望を装ったような作品では、ばからしさを感じずにはいられない。そこにあって、この作品は思考の深みと熟慮、悩みをひとしきり通り過ぎた以降に描き出された希望がにじみ出ていて、読中読後に真の力を感じさせてくれるものがある。そういった立場にある作品というのは意外に少ないのではというところもあり、貴重な作品といえよう。かなり分厚いので、時間はかかるけれども、文章自体は普通の物語として構成されいるので、読みやすいといえる。例えば、文学の深い穴ぼこへ落ちていくきっかけとしてもこの作品は適切では無かろうか。これを入り口にベケットなどへと踏み込んでいくというのもいいと思う。
- Book Review
- ガラス玉演戯 : novel,
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