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現代美術家ジャック・モノリと哲学者ジャン=フランソワ・リオタールによる共作。といっても、明確な共作ではない。作品中前半の部分にジャック・モノリによる写真のコラージュが淡々と配されており、後半に、ジャン=フランソワ・リオタールによる物語が並べられる。そして、その二者は微妙な関係を保つ。その間には明確な連関、つまり、作品の説明や、物語とオブジェの相関はないと言っていい。しかし、それらは同じタイトルの元、同じ作品中に在る。そして、その合間には一見深い谷間が在るようで、しかし、底なしのそれではなく、深いどこかでは何らかのつながりがあるように感じられる。その谷を埋めるのは、読者のなすべき想像範囲であるのだろう。読者はこの二者を行き来することで、そこに表現された物事と自らを連関させることが出来、作品上二者であるそれは、読者を含めた三者の構造となり、対話となる。共通認識とは別次元にある対話。
それぞれの物語もまた分断されている。
ジャック・モノリによる写真は、単なる風景と、ジグソーパズル化されたそれからなり、時にパズルは分断される。分断されたそれと、ただパズル化されたそれとの違いは。都市、地震、断層、破壊。言葉、認識の限界と、それを超えていこうとする何か。
ジャン=フランソワ・リオタールによる物語も、展開が飛び散っている。数ページごとに分け隔てられたそれ。しかも、それぞれの物語は、物語にしては、風景がなく、異常なまでの事実の多面的な可能性への言及に終始している。物語は、駆動された瞬間に分析にかけられる。そして、唯一タイトルである「震える」という共通項だけが浮かび上がってくるが、全体としての流れはとれることが出来そうで、出来ない。そこまた、読者の領域なのだろう。あえてその物語の流れをみると、こうではないだろうか。都市という星雲。つまり舞台。横たわった地層、亀裂、海。一方で、その都市の中にある現象として、性愛の震え、肉体的な感覚の象徴。そこへ至る過程にある人間と人間の関係の微妙さ。事実の分析によるその関係への論理的認識。しかし、それもまた途絶え、どこまでも分岐していく可能性だけが残される。
そして、天文台にたどり着き、そして、不自然でとてつもなく大きな水たまりへとたどり着く。そこに示された四次元世界の三次元を限界とする我々の認識力に対する言及。いや、それは我々の認識力というよりも、それが、この世界の現実であると言うべきであろう。孤立した座標系。それは、時間軸により震える。宇宙の遙か彼方、もしくは、祖先。無秩序ではなく、座標系の動揺である。つまり、無秩序は、統一の反語として存在し、無秩序に対する言及はすなわち統一への言及にほかならない。そうではない、独立したアイデンティティ。極端にいうと、止揚という概念に対する疑問符でもあるのではないか。むしろ、インターフェイスの概念。統一ではない共存。孤立に必要以上におびえる必要もないが、絶対視するべきでもない。
本当にそうだろうか。この作品は、ここに私が書いたようなことなのだろうか。それとも、必要以上に谷に踏み込みすぎたのではなかろうか。しかし、物語は、ただそこに在るだけで、受け入れもしなければ、拒みもしない。
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- 震える物語 (1977) : novel,Book
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