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「"丁儀"」の Wikipedia 検索結果
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丁儀(ていぎ ? - 220年)は、後漢末期から魏初期にかけての人物。字は正礼。曹操の竹馬の友人の司隷校尉の丁沖の長男。官職は西曹掾。
豫州沛国の人。弟の丁廙と共に曹操の子・曹植に仕えた。
丁儀は文才に優れており、曹操からもその才能を評価されて、曹操の娘である清河長公主(曹昂の同母妹)を丁儀に嫁がせようという話があった。しかし、太子の曹丕が「丁儀の容貌は斜視(眇=びょう、片目が小さいこと)なので、この際は姉上には子林(夏侯楙)に嫁がせるのがよろしいでしょう」という理由で縁談に反対したために、曹操も頷いて丁儀と自分の娘の縁談を破談にした。
だが、後に丁儀が改めて有能だと確認すると「やはり娘を丁儀に嫁がせるべきであった」と大いに後悔したという。このため、曹操の晩年に曹丕と曹植による後継者争いが起こると、丁儀は曹植擁立に奔走し、曹丕を皇太子から廃そうと何度も画策した。
220年に曹丕が王位に即位すると、弟の丁廙と逮捕されて、処刑された。だが、文才に富んでいた彼の死は、多くの人から惜しまれたと言う。
『三国志演義』では曹操の死後、その葬儀に参列しなかったことから、曹丕の命令を受けた許褚に逮捕され、正史同様に弟と共に処刑されている。
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
Text is available under GNU Free Documentation License.
[丁儀]の改定履歴
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豫州沛国の人。弟の丁廙と共に曹操の子・曹植に仕えた。
丁儀は文才に優れており、曹操からもその才能を評価されて、曹操の娘である清河長公主(曹昂の同母妹)を丁儀に嫁がせようという話があった。しかし、太子の曹丕が「丁儀の容貌は斜視(眇=びょう、片目が小さいこと)なので、この際は姉上には子林(夏侯楙)に嫁がせるのがよろしいでしょう」という理由で縁談に反対したために、曹操も頷いて丁儀と自分の娘の縁談を破談にした。
だが、後に丁儀が改めて有能だと確認すると「やはり娘を丁儀に嫁がせるべきであった」と大いに後悔したという。このため、曹操の晩年に曹丕と曹植による後継者争いが起こると、丁儀は曹植擁立に奔走し、曹丕を皇太子から廃そうと何度も画策した。
220年に曹丕が王位に即位すると、弟の丁廙と逮捕されて、処刑された。だが、文才に富んでいた彼の死は、多くの人から惜しまれたと言う。
『三国志演義』では曹操の死後、その葬儀に参列しなかったことから、曹丕の命令を受けた許褚に逮捕され、正史同様に弟と共に処刑されている。
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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